ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Friday, April 21, 2006

時代・中島みゆき

 前回中島みゆきのことに関心を持ったのが、神学校で学んでいるときと
書いた。年譜を確認して間違いであることが分かった。神学校で学んでい
るときではなくて、神学校で教えていたときであった。学んでいたときには
まだデビューしていなかった。80年代の初めに「悪女」という曲で有名に
なり、それで耳にするようになったのだと思う。神学校で「神論」や「人間
論」や「現代神学」を教えていたときに、人間を知 り、時代を知る手がか
りとしてクラスで紹介したように思う。 

 彼女が自分で作り歌っている詩が多くの人の心に確実に届いている。
しかも40年間に渡って届いている。息長く届いている。彼女が登場した
のは70年代の半ばである。学園紛争の後遺症が残っていた。それから
80年代の変化、90年代の漸進、2000年代の困惑、それぞれの世代を
どのように呼ぶのかはまさにその人の歴史観であるが、その動きと流れ
のなかで息長く、変わることなく届いている。時代の変化に彼女が合わせ
ているのか、時代を超えているのか、知りたいところである。

 シンガポールのもうひとりの兄弟が中島みゆきのことでメールをくれ た。
「『時代』と言う歌があったことは先生も良くご存知のことと思います。
1970年代、私がまだ高校生から丁度大学生に移行するそんな時期に発
売された歌でした。『そんな時代もあったね、と・・・』で始まる歌で、『まわ
るるまわるよ時代はまわる。喜び悲しみ繰り返 し・・・』『今日は倒れた旅
人たちも生まれ変わって歩き出すよ。』と言う歌詞に励まされた覚えがあ
ります。」彼女のデビュー曲であった。
 この曲が出たときには留学中であった。しかし歌詞を見て驚かされた。
まだ20代半ばの女性が、伝道者の書にあるような世界を歌い上げている。
「空の空、すべてが空。、、、一つの時代は去り、次の時代が来る。」
(1:2,4)だれもが知っている。しかし彼女はそれを歌い上げることがで
きた。そして多くの人はその時代にもてはやされて消えていく。彼女はそ
れから40年間も人の心をとらえている。

 福音主義神学として、60年代に自由主義神学と格闘したこと、70 年
代に大きな進展をみたこと、80年代で聖書の無誤性で直面したこと、
90年代に霊性神学の見直しが出てきたこと、2000年代、すな わち21
世紀の始まりで困惑していること、自分のなかのこととしてそれぞれの
世代を生きてきた。40年はとてつもなく長い期間である。大きな変化を
経験させられている。神学のポイントも変わってきている。 自分の求めも
変質してきている。
 それでも変わることなく求めているものがある。主により近く歩むことで
ある。「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいの
ちの日の限り、主の家に住むことを。主のうるわしさを仰ぎ見、 その宮で、
思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)シンガポー ルの兄弟が言っ
ている。「『人の営みは、メリーゴーランドのようだ』 とある人は言いますが、
思わされるのは、主に少しでも近づく「昇りの 螺旋階段」の歩みでありた
いと願わされています。」
 

Tuesday, April 11, 2006

主(あるじ)の心

 先週末にミニストリーの理事であり、牧師であり、みくにレストランの
創業者である荒井先生とお会いしました。いつものように5店舗あるな
かで私のところに一番近い店でお昼をいただきながら話しました。
最初は金曜の昼に予定していたのですが、先生に急用ができて来る
ことができませんでした。私は約束の1時に到着しました。それでも
テーブルの空くのを待っている人でいっぱいでした。私はただ待ちなが
ら食事を終わって出てくる人、待っている人、食べている人を眺めて
いました。 どこでも人を観察するのが好きなのです。駅とか飛行場と
かでです。

 荒井先生とご家族とは、16年前に私たち家族もアメリカに移り住ん
でからの知り合いです。最初のレストランがまだ小さくて大変なときの
ことを思い出します。ペンキ塗りを真夜中にさせていただいたことを思
い出します。そんなことを思いながら、出入りしている人たちを観て、
みくにレストランはサクラメントと近郊で大変なステータス・シンボルに
なっていることに気づきました。近隣のオフィス街でしっかりと仕事を
している人たちがビジネスと社交の場として使っているのです。男性
でも女性でもその身なりからそれなりの地位の人たちだと分かります。
みくにレストランで食べながらビジネスの話をすることが彼らのステー
タスになっています。寿司を握っていた次男の方に感想を伝えました。

 結局次の日、土曜日の昼に荒井先生と会いました。前日待たされた
こ とを恐縮されたので、そこで観察したことをお話ししました。興味深
そうに聞いてくれました。その折りに村上春樹のある本で、バーを経営
している主人公が、自分のお店に来る人にオーナーとしての姿勢を示
して、お客さんとして同じように振る舞ってほしいという無言のメッセージ
を出しているのだという件(くだり)を紹介しました。
お店はその主 (あるじ)の心の現れであることを先生にお伝えしたかっ
たのです。先生の人柄、信仰、牧師としての生き方が雰囲気になって
います。お客さんはそんな空気に反応します。それにあわせて振る舞
います。人を連れてきます。家族を連れてきます。

 ミニストリーでいろいろな教会の交わりに入れていただきます。
その教会の雰囲気は牧師の心の現れなのだろうと思わされます。
礼拝の流れ、交わりの自由さ、笑いの声、人々の顔とどこをとってもその
教会のことを思い、労している牧師の心が出てきます。心は隠せません。
隠していればそれも伝わります。それに人は反応します。
 牧師も人ですので、人としての雰囲気は避けることはできません。それ
でもその心が真の主に向いていて、人間的な限界を乗り越えて、溢れる
ような豊かさが伝わって来ている場合とそうでないときがあります。
牧師としての思いの強さが限界を作ってしまっているときがあります。
人はまたそのように反応していきます。ミニストリーをしていても同じこと
を知らされます。

 みくにレストランには「満ち満ちた(プレローマ)」(エペソ1:23,3:19,4:13)
ものがあります。人は食べ物で満たされて帰るのではないのです。そこに
ある空気に触れて満足するのです。心が満たされるのです。また戻って
きます。人を連れてきます。家族を連れてきます。

 

Saturday, April 08, 2006

キーワード:中島みゆき

 シンガポールで礼拝後教会の方々と食事をしていたときに、どういう事
でその話になったのかは覚えていないが、隣にいた同世代のご夫妻と
中島みゆきのことになった。私のiTunesには「地上の星」が入っています
と言ったら、その方々の車には最近ロサンゼルスで録音された「歌姫」
があるというので、帰りに宿まで送ってくださる車のなかで聞かせてくれ
た。その次第をウイークリー瞑想「シンガポール物語」に書いた。
 ポートランドの日本人教会の聖書塾で奉仕で出かけ、40代のひとりの
兄弟の家に泊めていただいた。その夜は兄弟の信仰のこと、家族のこと
をお伺いした。次の日の朝に教会に向かう車のなかで、兄弟が私にどの
ような音楽を聴きますかと尋ねてきた。それで私のコンピュータには中島
みゆきの「地上の星」が入っていますと返答した。それで大変気に入られ
た。

 ポートランドでの奉仕を終えて帰ってきたら、30代の終わりの友人の牧師
から、中島みゆきについて私が書いた記事に刺激されて、ご自分が高校生
の時にどうして共感を覚えたのかを振り返って書いたメールが届いていた。
私はシンガポールでの不思議な会話として紹介したたけであるが、この牧
師の心のどこかに届いたようである。
 どうして今また中島みゆきが出てきたのか不思議である。私はここで紹介
した方々ほど彼女の歌を聞いているわけでない。ただ神学校で学んでいた
ときから気になる存在であった。最初は自分が学生生活を送った札幌出身
ということがあった。北国の雰囲気がそうさせているのかとも思った。それ
以来なぜ彼女の歌が多くの人の心に届いているのかと関心を持ってきた。
彼女の公式サイトでは、「日本のおいて、70年代、8 0年代、90年代、
2000年代と4つの世代(decade)で、 チャート1位に輝いたアーティストは、
中島みゆき、ただひとりであ る」とあった。

 メールをくれた牧師の説明で納得できるものがあった。「好きで聴いてい
たのですが、高校の時の私には、何が良いのか自分でも分りませんでした。
改めて、今考えると『捨てられた者として生きていく』あるいは、『捨てられ
た者として生きている』、または、『捨てられたと感 じるものとして生きている
(生きていく)』、『生きていこうとしている』その心にあるのではないかと思い
ました。」「私は、失恋して聞いていたのではなく、親に捨てられた感覚の中で、
共感を覚えていたのだと、今、気づかされました。彼女の歌詞を思い巡らすと、
捨てられたという感覚を受け止め、それでいて、今を生きていこうとしている
のです。私はそう感じます。」

 確かに彼女の歌には生きることの難しさ、悲哀、空しさ、絶望感がある。
しかしそれで終わっていない。人生の悲哀を負いながらも生きていこうとする
ひたむきさ、したたかさがある。この牧師は彼女の「ファイ ト」という曲で語って
いる。「『ファイト。闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう。ファイト。冷たい
水の中を、ふるえながらのぼってゆ け。』という歌詞です。、、、世の中は、冷
たい水のようでした。しか し、その冷たい水の中で、生きていけと彼女は励ま
すのです。冷たさを感じつつ、震えてでも、進んでいけるのだと励ますのです」

 この牧師はご自分のコレクションを全部処分したと言う。それで図書館でCD
を借りてきて聞き直していると言う。そして再度メールをくださった。学生時代
にもうひとり、尾崎豊という歌手に共感して聴いていたと言う。彼との比較をし
ている。「彼は、生きることに悩みなが ら、‘そこ’に‘いず’、逃げ、反抗し、
盗み、破壊します。私の好きだった彼と、みゆきさんの歌の対比から、みゆ
きさんには、‘そこ’に‘いる’ことを感じます。悲しみを感じ、悩みを感じ、嘆き、
逃げたいと思い、変わりたいと思い、違う結果を求める思いもありながら、
‘そこ’に‘いる’のです。ふと、『わたしはある。』を思い出しました。単なる永
遠の存在という意味の‘ある’だけではなく、そういう意味の‘そこ’に‘いる’
か?とも思いました。」
 生きることは容易なことではない。それでも生きていかなければなら ない。
時には逃げ出したくなる。それでも向かっていかなければならない。暗い闇
に覆われる。それでも光りを信じて進むことができる。落胆することがある。
それでも希望を持つことができる。空しさに覆われることもある。それでも
信じることができる。

 中島みゆきは時代を読むキーワードである。何に惹かれ、何を求めている
のかを知る手がかりである。シンガポールの兄弟は、今朝も仕事に 向かう
車のなかで「歌姫」を聴いていましたとメールをくださった。 ポートランドの兄
弟は「帰り間際の中島みゆきの話は忘れられないことになりました」と言う。
この牧師は中島みゆきとの対話を通して言う。 「彼女の歌は、暗いので、
クリスチャンになってから、私の中から抹殺 してきたようにも思います。私の
心の空白時代に彼女の歌を聴いていたのですが、それを抹殺することで、
新たな心の空白域をつくっていたように思います。」 

Wednesday, April 05, 2006

オーキッド

 3週間前シンガポール空港から帰途につくときに教会のご夫妻が妻へ と
透明な箱に入ったひと束のオーキッド(蘭の花)をくださいまし た。薬の
リアクションから始まって一連の食べ物のリアクションからの 回復を目指し
ている妻のことを思って、シンガポールの国花になってい るオーキッドを
用意してくださいました。ロスアンゼルスの空港で植物 検疫を経て、無事
に妻のところに届けました。帰ってきた私より、オー キッドの花に感激を
していました。
 淡い紫色の花が箱から溢れるほどでてきました。言われたとおり水切 り
をして、妻は大きめの水鉢に入れて居間のコーヒーテーブルの上に置 きま
した。しばし眺めてはオーキッドの美しさを母親と語り合っていま した。
母親もこの冬にクリーム色のオーキッドの花を咲かせていまし た。
昨年10月のシカゴでの長女の結婚式にも、サンフランシスコから 来て
花を用意してくださった方がオーキッドを使ってくださったことを 思い出し
ました。
 シンガポールのボタニック・ガーデンのなかにオーキッド・ガーデン が
あります。今回の奉仕の間2回ほどオーキッド・ガーデンのなかを散 策
しました。オーキッドを国花としているだけあって手入れが行き届 き、
様々な種類のオーキッドを咲かせています。シンガポール自体が
ガーデン・シティーとして、街がと言うより、国自体が公園のなかにで きて
いる感じです。その中心の市民、国民の憩いの場になっているボタ ニック・
ガーデンのなかに、うっそうとした感じの熱帯の植樹林に寄り 添うように紫
ピンク、クリーム、薄緑、黄色、白と色とりどりのオー キッドが咲いています。
 根本のところで四方に葉が伸びて、その真ん中から茎が上に伸びてき て、
その茎の先端あたりに申し訳なさそうに、しかし一度見たら目をそ らすこと
ができない美しい花を咲かせています。じっと見つめて花とい つまでで対
面してたくなります。バラやゆりのような豪華な美しさで はないのですが、
しっとりと静かな佇まいを持って咲いています。一見 茫漠とした植樹林に
そっと寄り添って咲いています。コントラストなの ですが、ハーモニーが
印象的です。
 居間に添えられた白と紫の混じったオーキッドも回りの家具にぴった りと
合って落ち着いた美しさを醸し出していました。訪ねてきた親戚の 人もシン
ガポールの香りを楽しんでくださいました。10日ほどして花 びらがテーブル
の上に落ちてきました。最初の頃の新鮮さがなくなって きました。先週に
はもう捨てようかと妻に言いました。まだ取っておき たいと言いました。

先週末にポートランドの日本人教会のなかの聖書塾で奉仕がありまし た。
泊めていただいたお宅の階段から下りてきたところにオーキッドが 咲いて
いました。家のオーキッドはどうなったかと思いました。奉仕を 終えて帰って
きたときにオーキッドの花だけが平らな水鉢のなかで水 に浮いていました。
妻が花だけを取って水に浮かせていたのです。食卓 の上にありました。
今もあります。いつまでも楽しませてくれます。い つまでも心が惹きつけら
れます。
 その様子をいただいた方に伝えましたら次のような感想をくださいま した。
「水に浮かんだオーキッドの花を思い浮かべておりました。茎か ら離れて、
水に浮かぶ様子は、何故か『リラックスした自由なイメー ジ』を与えられま
した。」