ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Sunday, January 29, 2006

ファンタジー

神学モノローグ  2006年1月30日(月)

映画「ナルニア国物語・1章・ライオンと魔女」を妻と一緒に観てきた。疎開先のイギリスの片田舎の館の空き部屋にあった洋服だんすを通して、不思議の国であるナルニア国に4人の子どもたちが引き込まれる物語である。ルイスが半世紀前に書いたファンタジー物語の映画化である。物語りは今に至るまで読み継がれている。そして映画化された。 

ファンタジーは仮想の世界である。それでいながら現実を知らされる。現実をファンタジーで描くことで、時代や文化を越えて、多くの人の心を呼び覚ましていく。そこに悪があり、悪に惹かれる心があり、闘いがあり、愛があり、犠牲があり、死があり、勝利がある。誰もが人生で経験することをファンタジーで描くことで、共有感覚が広がっていく。ファンタジーで人生を再体験し、記憶のなかに隠れている意識と無意識の境の人生絵巻を再編集する。

子どもたちが洋服だんすを通してファンタジーの世界に入っていくと言うことで、似たような筋立てをどこかで読んだ気がした。それで、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を調べてみた。見つけることができた。同じように洋服だんすを通してワンダーランドに入っているのである。そこにも悪があり、闘いがあり、愛があり、死がある。しかしそこはまだ、意識と無意識の中間地点に過ぎない。その先に心を失った「世界の終わり」がある。その先にと言っても、物理的にも、時間的にも連動しているわけでない。それでいてその終わりの世界でコントロールされている。ワンダーランドはその終わりの世界を生き返られるための中間点でもある。

著者自身も言っているのであるが、この本が出たときには言葉の遊びに過ぎないと言う酷評を受けたが、徐々にその意味は人の心をとらえている。英訳されている。ワンダーランドは東京の地下鉄のさらに下の闇の世界の話である。しかしそこで展開されているファンタジーは英語圏の人たちにも充分届いている。高い評価を得ている。

ある友人が、私からファンタジーのことを聞くことになるとは思っていなかった、とメールをくれた。私も書くことになるとは思っていなかった。ファンタジーはアレゴリーでもたとえでもない。全く仮想の世界である。しかし物語を持っている。そこには現実を凝縮したパノラマが展開される。悪に支配されている氷の世界である。凍り付くような心を失った「世界の終わり」である。鳥たちは終わりの世界を乗り越える。ビーバーが天使のように子どもたちを助ける。ライオンはひとりの子どもを悪の手から解放するために犠牲に捧げられる。

聖書の世界をファンタジーで描くことができる。ファンタジーを通して聖書の世界にはいることができる。イエスは神の国の奥義をたとえで語っている。たとえでなければ語ることができなかった。雅歌は夫婦の愛の歌を、キリストとクリスチャンの愛の歌のように語っている。聖書には「比喩」(ガラテヤ4:24、ヘブル9:9)があり、「型」(ヘブル9:24、11:19)がある。

私たちはと言っていいのだと思うが、聖書から原則を引き出して命題を打ち出し、そのことを分かりやすく説明するために例話を用いることを、説教の手法として教えられてきた。この場合の例話はメッセージのための手段に過ぎない。聖書の世界に必ずしも導かない。説教者の伝達方法で終わってしまう。ナルニア国物語は聖書の世界の再現であり、私たちの心の投影でもある。聖書の世界と私たちの心とを結びつける仮想の世界である。仮想の世界なので心は自由に結びつくことができる。たとえの世界も同じような作用がある。たとえを聞いた私たちの心が自由に展開していく。想像をかき立ててくれる。

ナルニア国物語で、ライオンと魔女がふたりだけで話をする場面がある。その意味合いは明確なのであるが、その場でどのような話がなされたのかは記されていない。映画でも何のシーンもない。それで私のなかでどのような会話がなされたのか、想像が広がっている。ライオンは魔女と取引をしたのだろうか。そのような場面は聖書から可能なのだろうか。ライオンは自分の使命をどのようにとらえていたのだろうか。等々。

このような想像を含めたやり取りが私のなかで広がっている。聖書のなかでは明確に記されていることと、それ以上何も記されていないことがおり混じっている。その場面にイメージを膨らませながら神に語りかけるような会話を始めている。その会話は自分の心との会話でもある。ダイアローグであり、モノローグである。ファンタジーという世界が、私のなかの何かを押し広げているのかも知れない。

上沼昌雄記

Monday, January 23, 2006

殉教者

ウイークリー瞑想  2006年1月23日(月)

今からちょうど50年前のこの時に、エクアドルの人食い人種といわれたワオラニ族に福音を届けるために5名の宣教師が殉教の死と遂げました。その殉教者のひとりの妻であるエリザベス・エリオットが『ジャングルの殉教者』でそのことを記しています。その後、殉教者の子どものひとりであるスティーブ・セイントが、自分の父を殺した人から洗礼を受けるまでに福音が浸透していきました。その彼が記したEnd Of The Spearという本が映画化され、殉教者の50周年記念としてすでに上映が始まっています。

Spearは父を殺した「槍」です。戦闘用の槍です。日本語の辞書では「殉教」をも意味すると書いてありました。そのEndですので、「闘いの終わり」とも「殉教の目的」とも訳せます。5人の宣教師を送り込んだ当時の航空基地が妻の故郷のロス郊外にあり、妻は50年前の出来事をよく覚えていると言うことです。また5名の殉教者のうち3人が妻と長女の母校のホィートン大出身と言うことです。妻はクリスティアニティー・ツディの1月号に記されていた記事を切り抜いていました。また映画上映前にスティーブ・セイントと彼の父を槍で殺してたミンカヤニが、サドルバックの教会で話をするというので聞きに行きました。映画も観に行きました。

ホイートン大学の寮は殉教者の名前が付けられていると言うことです。昨年長女の結婚式でシカゴに行った折にホイートン大学を尋ねることができ、同時多発テロ事件の時にハイジャックされた飛行機内でテロリストたちと闘って亡くなったトッド・ビーマーの記念館を観ることができました。そのことを記した『レッツ・ロール』という本を書いた奥様ともホイートン大学出身です。殉教者を送り出している大学です。

KGKの主事として30年以上前に東北をよく巡回しました。今もその関わりがあって東北本線、奥羽本線を利用します。最近は新幹線が多くなりました。奥羽本線に沿って、4世紀ほど前に殉教したキリシタンの遺跡が残っています。湯沢で牧会をされている斉藤先生がその近辺の遺跡に連れて行ってくれました。米沢には有名な北山原殉教遺跡があります。377年前のちょうどこの時期に(資料では1629年1月12日となっています)当時の米沢藩の上級家臣であった甘粕右衛門一族、妻と3歳と1歳の子どもとその家に仕えた者たちが、聖母マリヤの旗を先頭に雪の中を自宅から北山原まで歩き、処刑されました。

東北の奥羽本線上、裏日本側は雪に埋もれているイメージが強いのですが、霊的には何か開かれたものを感じます。信じることが特別なものではなくて、生活の一部としているような身近さがあります。そして信仰の筋のようなものを感じます。殉教者の流された血が生きているようです。米沢には大きな教会がいくつかあります。十文字には戦前から信仰が受け継がれています。秋田では大学の教授が学生のために家を開放して伝道しています。

今月の最初の記事にJCFNの関係で13年前に修養会の帰りに事故でなくなった姉妹のことを書きました。一粒の麦となりました。いのちが捧げられました。犠牲が捧げられている団体の理事としての責任を感じます。今はその妹さんが信仰に導かれて、活動に加わっていてくれます。厳密には殉教ではないのですが、それに似たものを感じます。

修道院の始まりは殉教と関わりがありそうです。と言うのは初代教会で修道院はロマ帝国の迫害による殉教が終わってから始まっているのです。修道院というか、その初めでクリスチャンが荒野に出ていって求めてものは、殉教者たちが獲得していたキリストとの一体感でした。キリスト教が国教として定められて安定してから失ってしまったのです。ただキリストと一つになることを求めて、まさにイエスと同じように、荒野に下ったのです。その結果として修道院ができてきたのです。

キリストの血が流されました。それに続いて殉教者たちの血が流されています。それだけなのですが、それが生きる道なのでしょう。

上沼昌雄記

Tuesday, January 17, 2006

ソロモンの栄華をください

ウイークリー瞑想  2006年1月16日(月)

サクラメントで知り合いの牧師は「ソロモンの栄華をください」と祈ってきました。今そのような栄華をいただいています。教会だけでは生活ができなかったので、20年前に始めたレストランが、今は5つのお店を持つまでに成長しました。

16年前に私たちも家族で今のところに移り住んでから知り合っています。ですので、先生と家族がここまで来るのに想像もできない血の滲むような努力をしてこられたことを、端で見てきました。とても真似のできることではありません。したいとも思いませんでした。

ミニストリーの理事をしてくださり、JCFNの理事を一緒にしています。どちらも今年15周年を迎えます。ミニストリーは4月の終わりに記念祝会を、JCFNは記念の修養会を7月にハワイで予定しています。その打ち合わせがあって一昨日、2店目のレストランで昼にお会いしました。祝会をそこで予定しています。

不思議にその日の朝に、イエスが荒野で悪魔の誘惑に会ったことを思い巡らしていました。悪魔は、イエスを高い山の上に連れて行って、この世のすべての国とその栄華を見せました。それでこの先生が「ソロモンの栄華をください」と祈っていたことを思い出しました。

私だったら悪魔のそのような誘惑にうち勝つのは結構難しいだろうと思います。ミニストリーをしているのでお金のことは関係がないと思っているのですが、現実にはそのことで心が囚われています。それだけでなく、買ったことはないのですが、宝くじにでも当たったら新車を買ってとかと勝手に夢見ている自分がいます。

ですのでソロモンの栄華とまではいかなくても、その何分の一でもあったらいいなと思っているところがあります。しかしこの先生は本当にそのように祈って、そのように叶えられてきました。それでお会いして食事をしているときに、その朝に思ったことをお話ししました。栄華はいただいてもそれで堕落しない人だけに与えられるのではないかと、お伝えいたしました。逆に今のほうが誘惑が多いのではないでしょうかと伺いました。その通りですと言われ、守られるように祈っていますと言われました。

もし私が栄華をいただくことになったら、ミニストリーのことも忘れてしまうのではないかと思います。この先生は仕事で大変なときも、順調になっても、牧師としても使命を決して忘れません。それだけでなく霊的に大切なことをいつも見極めています。強靱な精神力があります。昨年の10月とこの暮れに二つの修養会・カンファレンスに一緒に参加しました。会話がそのことに及んでいきました。先生が、どうしたら参加者が成長できるカンファレンスができるのだろうとか真剣に心配されていることが分かりました。

そこで交わした内容は、取りも直さず私自身のミニストリーの姿勢に振り返ってくることです。どうしたら人をより神に近づけることができるミニストリーができるのかと問われます。それは私自身が神により近づくことを求める以外にないと思わされることです。

というのは、この先生はご自身が神により近くあることを求めているので、主催者としても参加者としても、修養会やカンファレンスがその目的に達するにはどうしたらよいか真剣に求めているので出てきた発言だと分かるからです。15年を迎えるミニストリーに、神は不思議な人々を回りに備えてくれています。

上沼昌雄記

Thursday, January 05, 2006

C. S. ルイスとファンタジー

神学モノローグ  2006年1月5日(木)

C. S. ルイスの「ナルニア国物語・第1章・ライオンと魔女」の映画が12月9日にアメリカで封切られた。全米映画興行収入でこの年末に首位に再浮上した。日本では3月4日からロードショーが始まる。

それにともない昨年の12月号のクリスチャニティー・ツディが C. S. Lewis Superstarという特集を組み、12月12日号のU.S.News がGod's StorytellerというタイトルでC. S. ルイスの特集を組み、彼の写真を表表紙に載せている。

キリスト教を基にしたファンタジー映画としては「ロード・オブ・ザ・リング」に続いている。これはJ. R. R. トールキンの原作「指輪物語」を映画化したものである。実はC. S. ルイスが無神論者から信仰を持つに至る過程で、カトリック信者であったトールキンが大きな影響を与えている。そしてその後もオックスフォードの仲間として、互いの作品のことを語り合い、励まし合ってきた。

21世紀の初めにキリスト教を土台にしたファンタジー映画が相次いで制作され、それぞれ興行としても成功を収めている。この二つに映画の間にすでにハリーポッターの本が同じように映画化されている。どれもイギリスという民族の歴史が幾重にも積み重ねられてきた土壌で生まれ、それがアメリカという歴史の浅い国で映画化されて民衆に届いている。21世紀の初めの現象である。

C. S. ルイスの「ナルニア国物語・全7巻」はすでに日本語にも訳されて読まれている。キリスト教を基にしていることを知らなくても読むことができる。ファンタジーのすばらしさである。ファンタジーは、現実を覆っている表面の一皮むこうに存在する空想の世界で、現実の問題を再表現して解決していく物語である。「ライオンと魔女」では、4人の兄弟姉妹が預けられた家の空き部屋にあった洋服ダンスの扉が、空想の世界に入っている入り口である。子どもたちが主役であることでファンタジーの意味の純粋さが伝わってくる。

「ナルニア国物語・全7巻」は1950年から56年の間に出ている。私の幼少時代である。ルイスは1963年11月22日、ケネディー大統領がダラスで暗殺された同じ日に亡くなっている。私はそのころから信仰者の歩みを始めた。ビートルズが世界の表舞台に登場してきたときでもある。世界が激しく変動していった60年代のことであった。学生運動に揺れたキャンパスであった。

その後、時代の新しい流れと福音的な信仰との間で、哲学を学び、神学をしてきた。信仰の形態としての福音主義の展開は20世紀の後半には主役になっていた。同時に福音主義の信仰形態ではファンタジーが馴染めないものであることを経験してきた。神秘的なことを排除するメンタリティーが支配的であった。理論的な神学の構築に勢力を注いできた。それなりに必要なことであった。

しかし神学としての枠組みができても、人の心は理論を越えた世界をいつも求めている。ファンタジーの世界は心の世界である。心の世界は現実の裏側にいつも存在し、現実を支えている。心の世界は民族を越えた共有の世界でもある。誰もが苦しみ、闘っている現実を、空想の世界で解決していく。そこに悪があり、闘いがある。そして勝利があり、救いがある。誰にも闘いがあり、誰もが救いを求めている。

「ナルニア国物語」の映画化は、クリスチャニティー・ツディの記事で言われているとおりにまさにポストモダンの現象である。ルイスはファンタジーの必要をはじめから感じていて20世紀の半ばに作品化した。それがいま大衆化されてきた。私のなかでも馴染めなかったファンタジーの世界が広がってきている。映画も観たいと思う。

上沼昌雄記

3人の若者の死

ウイークリー瞑想  2006年1月2日(月)

暮れの27日から元旦の朝まで留学生を中心にしたイクイッパー・カンファレンス(EC)が、ロス郊外のカルバリー・チャペルのカンファレンス・センターでありました。全米各地、日本から、そして今回はシンガポール、ドイツからも参加してくださり、350名名ほどの若い人たちがイエスに導かれ、イエスに向かって賛美をし、イエスのために立ち上がりました。

日本を離れたところで日本人の若者が心を開いて神に賛美をしているのです。この働きの中心的な役割を担っているJCFNの理事として参加して、若い人たちのはち切れるようなエネルギーと神に向かう真摯さに圧倒されました。

どの集会も神の霊に導かれたものです。日本からいらしてくださった講師のメッセージに励まされました。青年たちの賛美に心が躍りました。大晦日の晩は夜7時に集会が始まりました。ECの実行委員長の兄弟が自分のありのままのストーリーをキリストのストーリーに掛け合わせて正直に語ってくれました。日本に帰国する方の派遣式を持ちました。そして年越しのカントダウンを賛美で迎えました。その後朝の3時まで証と賛美の時が続きました。2006年を霊の集会で迎えることができました。

そのような感動の連続でしたが、4日目の朝はメッセージのない賛美と祈りの集会でした。どのようになるのか興味を持っていました。そうしましたら兄弟と姉妹が前に出てきました。姉妹がこのイースターの頃にドラッグの取りすぎで命を失ったひとりの兄弟のことを証してくれました。

前に出てこられた兄弟はその亡くなった若者のお兄さんでした。弟さんが昨年のECで大きな影響を受けたので、自分は信仰を持っていないがECがどのようなものなのかを知りたくて来ましたと言われました。証してくれた姉妹は、その死は見苦しいものであったが、キリストはもっと見苦しい死を私たちのために遂げてくださったと言われました。

次にふたりの姉妹が立ち上がりました。ミシガンにいた姉妹で留学生のために献身的に奉仕をしてくださり、昨年のECでも活躍してくださった方が、その後癌であることが分かり、この秋に召されました。その大阪での葬儀に参列してくださったことを含めてこのふたりの姉妹が語ってくれました。どうしてこの方が召されなければならないのか自分たちには分からないと言うそのもだえと、それでも神が何かも計画されていることへの信頼を伝えてくれました。いつも笑顔を持って奉仕をしてくれたこの姉妹の姿が鮮明によみがえってきました。

そうしてさらにもうふたりの姉妹が立ち上がりました。12年前の最初のデンバーでのECの帰りに事故があり、そこで召された姉妹の妹さんとその事故に一緒に遭遇した姉妹でした。JCFNの働きの最初の時期に起こったことで、当時全員が厳しい時を通されることになりました。当然妹さんにとっても想像できない試練でした。

しかしその妹さんにも神が働いてくださり信仰を持つことができました。事故に一緒に遭遇した姉妹は後にJCFNのスタッフと導かれました。召された姉妹の死が一粒の麦として私たちのなかに生きていることを知りました。JCFNのロゴである「一粒の麦」の意味を共に確認をいたしました。

3人の若者の死の証に若い人たちが静かに耳を傾けていました。いつもエネルギーに溢れている若者たちが3人の若者の死を厳粛に受け止めていました。自分のことのように受け止めていました。自分たちの仲間の死が何かを語りかけていることを真剣に考えていました。3人の仲間の死の向こうに私たちの主のイエスの死が毅然と立っていることに気づいています。死は避けられない生きていることの一部であることを受け止めています。しかし死がすべてでないことを証を聞いて確認しています。

3人の若者の死の証は特に計画していたわけではなかった言うことでした。ミシガンの姉妹の証のことを祈っていたときにこのようなかたちで導かれたと言うことでした。ミシガンの姉妹の死が導いてくれました。12年前の出来事を思い起こすことはつらいことです。しかしその姉妹の妹さんが今回のECにも参加してくださり、一粒の麦として召されたお姉さんの実を見ることができました。その事実を受け止めることができました。新しい出発をいただいています。

まだ15年しか経っていないこの働きに3人の若者の死を神は置かれました。一粒の麦として捧げられた命です。それぞれの死が殉教の死にも値するように思えます。そして一粒の麦、殉教の死はキリストの死を思い起こしてくれます。

上沼昌雄記