自分の人生でありながら、自分のものでない人生
ウイークリー瞑想 2005年12月12日(月)
キリストがこの地に下ってきて私たちと同じ肉を取られる前に、すなわちキリストの受肉の前に、いま流の言い方ではクリスマスの前に、どのような思いでいたのかは想像する以外にありません。ただパウロはそのキリストのことを思い巡らして、ピリピ書の2章の6節から11節で「キリストの歌」と言われる賛歌をまとめ上げています。当時の人たちがすでに賛美として歌っていたとも言われています。神学的には「キリストの謙卑」と言われています。新しい英語版の聖書ではこの箇所を歌のように段落を取っています。
「キリストは、神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」父なる神と共におられたキリストがそのあり方を「固守すべきとは思わないで」、または「奪い取ろうとは思わないで」ご自分を無にさえたのです。どちらにしてもそのときのキリストの思いを思い描いて、パウロは自分の生き方としています。
ここでの表現には、地に下る代わりにキリストは父なる神と共にいることをさえ選ぶことができたかのようなニュアンスがあります。その自由が与えられていたかのようです。あたかもキリストはそのままでいることもできたかのようです。決断はキリストに任されていたかのようです。同時にそのままでは子なる神としての使命を果たさないことも分かっていたようです。何か大変なことが自分に任されていると思ったのかも知れません。決断することでさらに大きなことがなされると思ったのかも知れません。
この辺は推し量る以外にありません。キリストが父なる神のもとを離れるときの思いは、とうてい計り知れないことです。父なる神と子なるキリストとの秘密です。それでも何か意味があるのだろうと思わされています。キリストが私たちと同じ肉を取る必要がその意味に隠されていると思うからです。天使ではなくて私と同じ肉を持つ必要があったからです。キリストは自分のあり方を捨てたのです。まさにクリスマスの意味です。
以前何度か紹介したスコット・ペックのThe Road Less Traveled(邦訳『愛と心理療法』)を読み直しています。英語版のもともとのタイトルと邦訳のタイトル共に意味があることが分かります。私たちの人生はまったく自分のものでありながら、自分のものでないというその境に誰もが立っていることを見事に語っています。人生が自分のもののためだけであったらナルシズムでしかないのです。他の人のためだけであったら分裂症か依存症になってしまいます。自分のための人生なのですが、他の人のために生きることによって初めて成り立つ人生なのです。そのために勇気と決断と責任が求められています。
自分自身この境目を行ったり来たりしているように思います。と言うより自分の世界に止まっていて、向こうにいけばすばらしい世界があることが分かっていても、いけないで止まっている自分をみます。キリストはその境を超えられたのです。「それゆえ、神はキリストを高くあげて、すべての名にまさる名をお与えになりました」と言えるのです。このことを可能にするのが愛であるとスコット・ペックは言います。
スコット・ペックがこの本で書いていることは、キリストの歩みを思い起こさせます。あるいはクリスチャンの生き方を語っていると言えます。事実は彼はこの時点ではまだ信仰を持っていませんでした。しばらくして自分の結論に従って信仰を持ち、洗礼を受けました。精神科医として患者さんの診察をしながら人としてのあり方の究極を見抜いたのです。それはキリストにおいて現されたことと納得したのです。
パウロはキリストと同じ「心構えでいなさい」と勧めています。キリストと同じことができると言うことではないのです。キリストが私たちと同じ肉を持つものとしてこの地に来られたのは、人としての私たちが同じように自分を捨てることで初めて人生の意味を見いだすことを示すためであったのです。模範を示したのではなくて、肉を持つ人間のあり方を身をもって示したのです。そのことで人としてのあり方を思い起こしてくれたのです。
模範説というものではありません。私たちはキリストと同じようにはできないのです。そうではなくて、思い起こしてくださることで、それが人としての生き方なのだと納得させてくれるのです。人生は自分のものでありながら、自分のものでないのです。キリストがこの境を越えられたのです。私たちはこの境でもがいています。肉のもがきであり、苦しみです。
肉の限界をもつもののもがきであり、肉の欲による苦しみです。このもがきと苦しみが人生を深めてくれます。自分の人生でありながら、自分のものでないこの境に立たされている苦悩が人生を深めてくれます。キリストの謙卑がこのことを思い起こしてくれます。クリスマスが人生の極みを浮きだたせてくれます。
上沼昌雄記