ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Thursday, January 04, 2007

「日本のクリスチャン人口が30%になったら」

 巷で、仕事関係で、会合で出会う人の3人にひとりか、4人にひとり
がクリスチャンです。社会全体が教会やクリスチャンを意識していま
す。国家にとって侮れない存在です。クリスチャンをマーケットにした
市場は活気で満ちています。教会を街角の至る所で見ます。厳かな会
堂、大きなホールのような会堂、広い駐車場をもち、学校も併設してい
ます。様々の教派の会堂が建ち並んでいます。カトリックも、正教会
も、聖公会も、基督教団も、ペンテコステも、バプテストも、長老派
も、ブラザレンも共存しながら助け合っています。

 クリスチャンはそれぞれの教派の伝統を大切にしています。それでも
教派を越えた交流が社会の一面として重きをもっています。アメリカの
ような教派と移民を中心とした民族のアイデンティティーが結びついて
いるわけでないので、教派間の交流は地域間の交流に置き換えられてい
ます。教派間の結婚も日常のことです。教会は地域に、家庭にとっての
要です。教派間の対抗意識は許されないないのです。教会の社会性はい
つも求められています。

 クリスチャンをマーケットにした市場は経済の活性化に繋がっていま
す。ゴスプル・ライターや、ゴスプル・シンガーは若者たちの心を捕ら
えています。ジーザス、ジーザスと叫びながら街角を踊っている若者を
見ます。クリスチャンの非営利団体が多くの老人施設をもち、養護施設
をもち、病院を経営しています。実業家は企業を興し、利潤をあげ、そ
の多くを海外宣教に捧げています。トヨタやソニーに代わって日本から
の宣教師の活動が世界の注目を浴びています。

 世界が、特にアジアの諸国が、日本が過去の戦争を、過去の侵略を、
その責任を、慰安婦の問題を、賠償の問題を、誠心誠意取り上げ、謝罪
したことを高く評価してます。国会議員の三分の一を占めるクリスチャ
ンの血の滲むような努力でようやく過去をしっかり見つめ、清算するこ
とができたのです。アジア諸国における過去の傷を癒し、和解を生み出
したのです。いまは戦争犠牲者の記念碑だけが建てられています。

 日本のそのような姿勢を世界が歓迎しています。それだけ世界のなか
での責任が大きくなっています。世界の各地の紛争、国同士の戦争、人
種間の争いに積極的に和解の道を見つけだそうと日本政府は努めていま
す。日本は過去の経験を踏まえて平和を説くことができるのです。積極
的に平和の特使を送っています。キリストの犠牲の意味が浸透している
のが分かります。日本は世界のために存在しているのです。世界に貢献
しています。

 日本を覆っていた闇から解放されています。新しい風が吹いていま
す。靖国の森に吸い込まれるようなおぞましい感覚から解き放たれてい
ます。森の奥にも、林の影にも、夜の暗闇にも恐れを感じなくなりまし
た。日本の自然が、日本人の心が大きく開かれています。人の意見に耳
を傾け、世界の人の痛みを痛みとすることができます。経済の潤いを世
界に還元しています。教会はいつも新しい感覚で人をリードしていま
す。教会の動きを社会は注目しています。停滞は許されないのです。

 それでも教会は問題を抱えています。クリスチャンはどのように進ん
でいったらよいのか迷っています。そんなことも避けられないこととし
て社会に取り上がられます。マスコミの話題にあり、社会のテーマにな
り、神学の問題になり、哲学の課題になるのです。日本人のメンタリ
ティーが聖書の世界とどのような関わるのか真剣に取り上げられていま
す。聖書をテーマにした日本の作家の小説がベストセラーになっていま
す。

 日本の霊的な解放のために闘った殉教者の墓があります。最上川の上
流の山形のある小さな村の「シオンの丘」にそのような殉教者の墓があ
ります。日本の戦争責任を説き、天皇の戦争責任を説いて政府から目の
敵にされ、右翼によって殺されたいち信徒の墓です。その死は大きな波
紋を起こし、同調者を起こし、日本全土に広がっていきました。同じよ
うになんにもの人がそのためにいのちを失うことになりました。そのよ
うな死は、しかし、国民を動かし、政府を動かすことになりました。キ
リスト教の精神を人々が知ることになりました。その人たちの殉教の墓
があちこちにあります。殉教者を覚えることが教会の習慣になっていま
す。