ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Tuesday, February 14, 2006

シンガポールの風  その2

ウイークリー瞑想  2006年2月14日(火)

シンガポールの日本人クリスチャンは、アングリカン・チャーチの建物を借りて午後3時から礼拝をしています。一昨日礼拝前に建物を眺めていたら「建立1911年」と言うプレートを見つけました。レンガ造りの歴史を感じさせる建物です。戦時中は日本軍の倉庫にも使われたと言うことです。常夏の国ですので礼拝堂の両側は窓ガラスもなく開けっ放しになっています。廊下になる部分があって礼拝堂はその柱の内側になっています。そこは30メートルほどの高さの丸天井になっていて、風が気持ちよく吹き抜けていきます。天上からもいくつもの扇風機が回っています。メッセージを語っていても心地よい風を感じます。

 一昨日はOMFのカンボジアの菅谷宣教師、イギリスの横山宣教師ご夫妻が礼拝に来てくださいました。先生方を囲んで20名ほどの方々とレストランの外庭で一緒に夕食をいただきました。夕闇が迫って気持ちのよい風が吹いていました。日本食をいただきながらカンボジアの話、イギリスの話を伺うことができました。私はアメリカから参加していました。シンガポールはアジアの臍のようであり、ヨーロッパには歴史的に深く結びついています。ニューヨークにもロスにも直行便で繋がっています。シンガポールには世界中の風が吹き込み、世界中に風を吹かせています。

 先週の水曜日の朝ボタニック・ガーデンに行きました。今回2回目でした。ゆっくり散歩をしながら、ところどころで思いついたところで木のベンチに座って時を過ごしました。陽がすでに昇っているのでゆっくり歩いても汗ばんできます。ベンチに座ると汗が体にちょうど馴染むほどの風が吹いてきます。故片岡さんがこのボタニック・ガーデンが好きでよき来ていたと聞いていました。牧会で疲れ、神の前に静まっている片岡さんの心が風に乗って伝わってきます。隠れた別のベンチで座っている片岡さんを想像していました。

 前回の「シンガポール物語」で、アメリカでも日本人が心を開いて、みことばがストレートに入っていくのですが、シンガポールではそれに生々しさが伝わってきますと書きました。すでに10日間ほど一緒に過ごしていますので現実の生々しさも伝わってきます。隠そうとしません。また礼拝堂の窓が開けっ放しになっているように隠すことができません。それでも新しい人が導かれています。どの集会でも新しい人とお会いしました。交わりが澱んでいません。新しい風が吹いています。

 昨日は教会の方々がセントーサというシンガポールの突端にある島に連れて行ってくれました。マーライオンというシンガポールの象徴であるライオンとマーメイド、すなわち人魚とが一つになった立像の中に入りました。その由来を知りました。中国語で「魚尾獅」と書くと教えてくれました。同時にその島は湾を守る歴史的な要塞にもなっていました。ですので太平洋戦争で日本軍の3年半の占領の記念館にもなっています。過去の暗い記録です。海からの風が絶えることなく吹いています。忘れてはならない記憶を呼び覚ましてくれます。

上沼昌雄記

シンガポール物語

ウイークリー瞑想 2006年2月6日(月)


先週末からシンガポールでの奉仕が始まりました。ここの日本人クリスチャンのグループが一昨年に続いて招いてくださいました。今回はロスアンゼルスから直行便で太平洋をしっかりと飛んで18時間近くかけて来ました。日本を通過してシンガポールの日本人のグループに来たのですが、日本に行くときとも、同じアメリカ国内の日本人のグループにいくのとも違った感じをいただいています。昨日礼拝の後で歓迎愛餐会の時を持ってくださり、そのような違いを感じていますとお伝えしました。どのような違いなのかはその時点では表現することができませんでした。

 金曜日の早朝にシンガポールに着きました。出迎えてくださった兄弟と宿泊先に行くその車のなかで、人の心に届くメッセージとはどのようなものなのかという会話をすることになりました。時候の挨拶ではなくて、私もミニストリーとして関心を持っているテーマを、まさにシンガポールに来ていきなり話し合うことになったのです。昨年10月の北カルフォルニアの修養会、年末のECカンファレンスについてサクラメントの牧師と思いがけなく同じことを話してきました。その牧師とのやり取りを年末のカンファレンスの関係者とシンガポールに来る前の週に話し合ってきました。

 そのような話の内容を兄弟に紹介しました。どのようにしたら人の心に届くことができるのか、シンガポールについていきなり大変な会話になりました。なかなかできないことです。兄弟は一見そんな会話をする感じではありません。しかしどこかで霊的な識別力を持っています。しかもいきなりそんな会話ができるのです。シンガポールがそうさせているとも言えないのですが、日本では時候の挨拶で終わってしまうところなのでしょうが、いきなりとんでもない導入をいただきました。

 土曜の夕刻にバーべーキューの夕食会がありました。食べながら私より少し年輩の方とその方の信仰の始まりの話を伺うことになりました。髪の毛もまだ真っ黒でいつもきれいに整髪をされ、身なりもしっかりとしています。信仰もそのような姿勢であることが分かります。ですので伺った話には多少驚かされました。奥様が洗礼の準備をされていて、その折に牧師からあなたも一緒にどうですかと言われて、ハイと言って洗礼を受けてしまったというのです。その時に信じていたわけではなかったというのです。不思議な人がシンガポールいるものだと思いました。

 昨晩の愛餐会で隣り合わせになったご夫婦と前後関係を全く覚えていないのですが、中島みゆきの話になりました。彼女の「地上の星」は私のiTunesに入ってます。宿泊先まで送ってくださる帰りの車のなかでロスで制作したという新しいCD「歌姫」を聞かせてくれました。同乗されたもうひとりの姉妹も結構聞いているようでした。私はそれほど聞いているわけではないのですが、どうして中島みゆきの歌が人の心に届いているのかに関心があるのです。その最新曲をシンガポールで聞くことになるとは思っていませんでした。

 JCFNのメンバーで今日本に住んでいて、今回シンガポールの友人を訪ねている姉妹と礼拝後にお会いしました。アメリカでも会っています。それで立ち話で、シンガポールの日本人の方々はアメリカの日本人と違いますようねとなり、互いに同意することになりました。日本からアメリカにいらして多くの方が自由を感じて心を開いてくれます。みことばがストレートに入っていきます。そのことを経験しています。シンガポールではそれに加えて生々しさが伝わってきます。アメリカでは心の皮が一皮むけた感じですが、シンガポールでは更にほう一皮むけている感じです。隠しようのない感じです。それだけ思いがけない話を聞くことになりそうです。シンガポール物語は始まったばかりです。

上沼昌雄記