ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Tuesday, August 29, 2006

「ネパールの羽根田医師達:恵みと驚異

 ネパールのヒマラヤ山脈の麓のベシサハールという村にあるキリスト
教の病院で医療奉仕をしている羽根田医師ご夫妻のところに、次女の泉
がボランティアとして参加しています。実際にはワシントンを出て
10日目でようやく到着したような次第です。ネパールの首都カトマンズに
到着した日に、病院の存在を嫌うあるグループの人たちによって騒動
が起こり、羽根田医師たちもカトマンズに一時避難することになりました。
病院の代表の方の決死的な交渉で、逆に村の人たちが病院を暴徒から
守ると約束してくれてました。それで泉も羽根田医師たちと一緒に昨日
病院に入りました。

 そんなこともあってカトマンズからベシサハールまでの道のりや、ネパー
ルの社会情勢が気になって、ネパールについての旅行者用の本を
買ってきて調べたりしました。8千メートル級のアンナプルナ山を中心
としたトレッキングの案内もしっかりとあって読み応えのある本でした。
それで、ネパールという国のイメージを勝手に描くことができました。

 と同時に、羽根田医師ご夫妻がネパールに惹かれるように3年ほど前
に出かけていったときのことを思い起こしています。山形の北の村山市
というところでご夫婦で開業をしていました。居間で始まった聖書研究
が教会として成長して、病院の隣に会堂が建ち並んでいます。地元の人
たちにも慕われています。薬のセールスマンにも伝道して信仰に導いて
います。静かな街ですが、病院の待合室は人があふれ、教会の礼拝も家
族連れでいっぱいです。 病院の駐車場は日曜日には教会の駐車場
となります。

 ご夫妻が医学生であったときにKGKの主事として関わったこともあって、
ミニストリーとしても10年ほど前から交わりをいただいています。
それぞれの子どもたちの年齢も近いこともあって家族としての交わりも
いただいています。医院での忙しい生活があっても神との交わりの時を
より大切にしています。子どもさんたちがまだ家にいたときにはよく一緒
に家庭礼拝に参加しました。

 羽根田医師ご夫妻が神からの新しいチャレンジを感じていることを話
してくれました。奥様のご両親も信仰を持たれたこと、子どもさんたちも
医学の学びに付いていること、教会もしっかりと成長していること、そも
そもご自分たちがクリスチャンの医師として召されている使命を再確認
させられていることを語ってくれました。そのままの状態で留まっていること
は許されない神の導きを感じていました。

 医院のスタッフの人たちには極秘で、ある週末を使ってネパールの病院
の視察に行かれました。寝ずの旅の連続で月曜日の朝に医院に戻って
きました。そのまま診察について、しかもその日は特に患者さんの多い日
であったことを話してくれました。それを嬉しそうに話しているのを聞いて、
本気であることが分かりました。医院も別のクリスチャンの医師が引き継
いでくれることになりました。

 ネパールに向かわれる前に北カルフォルニアに来てくださって、タホ湖の
湖畔で私たち夫婦としばらく静かな時を持ちました。イエスが弟子たちに
種蒔きのたとえの話をされた後に「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われ、
そこで弟子たちが嵐に遭遇する箇所を一緒に思い巡らしました。
おふたりにとって「向こう岸」はネパールであると率直に語ってくれました。
それを伺って、ネパールでたとい嵐に遭うことがあってもこの方たちは大丈夫
だと思いました。実際に騒動が持ち上がって一時避難することになっても
落ち着いている羽根田医師たちの様子を見て、泉もどんなことが起こっても
一緒に病院に行くことを再確認したようです。

 「向こう岸」は私にとっては太平洋を越えることでもありました。ということが
分かっていた上でアメリカに来たわけではありませんでした。後で納得できた
のです。ただ神は変動を起こす神であることが分かります。留まっていること
を許されない神です。変動を起こすことで新しい風を吹き込んでくるのです。
それで、思いがけない恵みに遭遇するのです。嵐にも遭遇するのです。
変動に関わるすべての人にとって、それは恐怖であり、驚異でもあります。
神はそれをあえて行われるのです。

Monday, August 14, 2006

戦争と哲学

神学モノローグ 2006年8月15日(火)

ヨーロッパでの第二次世界大戦を前後して、ナチスに荷担したドイツ人の哲学と、そのなかでホロコーストをくぐり抜けてきたユダヤ人の哲学に根元的な違いがあることに関心を持っている。共に存在への問いかけを真剣にしている。しかし一方はナチの全体主義を容認してしまうし、他方は全体主義とホロコーストを避けなければならないと訴えている。しかし政治的な訴えではなく、哲学として淡々と論じているだけである。前者はハイデッガーであり、後者はエマニュエル・レヴィナスである。ハイデッガーは大学の卒業論文として取り上げた。レヴィナスはこの数年読んでいる。

ハイデッガーの「なぜ無ではなくて、有なのか」とい問いかけは信仰者としても、当時マルクス主義哲学が旺盛の時にも、心から離れなかった。存在の外側のものを取り去って純粋な存在そのものに迫ろうとしている姿勢に惹かれた。詩の世界にまで存在の在処を求めている。しかし現実にはナチの台頭には何の抗する力も持ち合わせていなかった。実際にハイデッガーのナチとの関わりはいまだに議論の対象となっている。

レヴィナスはハイデッガーの『存在と時間』(1927)を高く評価している。しかしその存在には出口がないことを見ている。存在の純粋さと極限化を見ているが、それは「他者」を欠いた、すなわち、世界への窓を欠いた存在と見ている。「他者」は自己が無限にたどり着けない存在である。それは無限者としての神に通じるものである。自己は他のために存在している。その「身代わり」となることで存在の在処を見いだせると見ている。

レヴィナスはリトアニア出身でフランスに帰依した。フランス軍の兵士としてドイツの捕虜なる。4年間の抑留生活のあとに、彼の家族と親戚のほとんどがホロコーストの犠牲になったことを知る。1947年に『実存から実存者へ』、1961年に『全体性と無限』、1974年に『存在の彼方へ』を出し、80年代以降世界的に注目されてきている。タルムードの研究家でもある。明らかにハイデッガーを批判しているが、個人的なことではなく、哲学としての限界を提示しているだけである。紳士としての真摯な姿勢である。

基本的な批判として、西洋の哲学の全体性を取り上げている。トマス・アクィナスの神学の全体性であり、ヘーゲルの哲学の全体性である。すなわち概念で世界の全体像を築き上げている哲学の全体性が、ナチのような全体主義が台頭してきたときに観念的に容認してしまうというのである。ハイデッガーの存在の問いはヘーゲルの全体性の対局になりながら、全体性に対しては無抵抗であったと見ている。

哲学の全体性は神学の全体性に通じている。概念で世界を築いているのが哲学であるように、概念で神の世界を築き上げているのが神学があるからである。そして神学が神の代弁にもなっている。しかし現実に、ヨーロッパの神学はナチの台頭を阻止することはできなかった。むしろ全体主義を容認することになってしまった。考えてみると、西欧の神学を受け継いでいる日本の教会が同じように全体主義に対して確固とした姿勢を取ることができないで、追随してしまったことにも通じているようである。さらにそれは、いまのアメリカの保守的な神学にも通じることである。

レヴィナスはあくまで哲学として説いている。『全体性と無限』というタイトルが示しているように、「全体性」という閉じられて世界ではなくて、「無限」の神に通じる開かれた存在を視点に入れている。ホロコーストで家族を失うことを経験していながら、その神の「善」をなお信頼している。神の無限性に向けられている存在の有意義性と責任を考えている。他者のための「身代わり」としての存在に可能性をみている。

日本でもレヴィナスの研究は進んでいる。主要著書はほとんど訳されている。どこでどのようにレヴィナスに出会ったのか覚えていない。ただハイデッガー以降の現代の哲学の方向に関心を持っていたが馴染めないでいたなかで、レヴィナスのことが気になってきたのは確かである。難解であるが、戦争のこともユダヤ教のことを直接には言及しないで、それを哲学で論じていることに新鮮さと驚異を感じている。

上沼昌雄記

Tuesday, August 08, 2006

夫婦のこと、戦争のこと

 先週末に、今いる街の図書館から広島と長崎への原爆投下に至った
アメリカ政府の経緯をドキュメントにしたDVDを借りてきて観ました。
大統領と側近たちの間で、日本との戦争を終わらせるために原爆が
必要なのかという議論があったこと、原爆投下によってもたらされる世界
の反応を憂慮していること、ソ連の参戦によって決断が迫られたこと、
しっかりとした資料に基づいて作られていることが分かりました。

 これを観たのは5日の夜でした。日本ではすでに6日になっていました。
まさに61年前に広島に原爆が落とされた日でした。しかしこの関わりを
分かっていてDVDを観たのではありませんでした。それは後になって
気づいたのです。

 この6月から村上春樹のことについて記事を書いています。「村上春 樹・
体験」としてミニストリーのホームページ(www.jbtm.org)に
載せています。9年前にある悲しいことで村上春樹の本を紹介されました。
正確には「自分のいまの気持ちを一番よく表している」ということで、
『国境の南、太陽の西』という本が送られてきました。その後その人とは
音信が途絶えてしまったために、本は謎解きとなりました。それ以来村上春樹
の本というか、世界に引き込まれてきたところがあります。
それでまとめてみたいと思って記事を書いています。
「その3」ま で載せています。

 いま「その4」として『ねじまき鳥クロニクル』のことを書いています。
出ていってしまった妻を買い戻す、救い出すテーマです。買い戻す、贖い出
す、まさに聖書のテーマです。そのプロセスにノモンハンと 満州国での残虐
な殺人の描写が入っています。外モンゴルでロシアの将校によって日本の
情報部員が皮を剥がされながら死んでいく場面です。
そして満州で中国人が日本兵によってバットで頭を叩き殺される場面です。

 なぜこのような場面が妻を救出するために必要なのか、この本に対する
私の問いかけです。村上春樹がそれは避けることができないと観ている
ことは分かります。作者が分かっていることと、読者のひとりである私が分
かることとは多少の違いがあります。その違いがありながらも、 過去の
戦争のことが重く日本人である私のなかにものしかかってきます。
深い霧のようにのしかかっているだけでなく、皮膚を通して心のなかにも
浸透してきています。

 そんな思いがあったので図書館で戦争関係の書庫を巡っていたのです。
戦時下のアメリカで日本人が強制収容されたマンザナの写真集を見ました。
そしてDVDで原爆投下のことを取り扱っていることを知って借りてきたので
す。そして観た後にその日が広島の被爆した日であることに気づきました。

 『ねじまき鳥クロニクル』は私のなかに夫婦に関して、戦争に関して
ある種の引っかかりを残しています。夫婦それぞれがクロニクルを持っ
ています。そのクロニクルのどこかで戦争のクロニクルが入ってきます。
象徴としても、比喩としても、現実としても入ってきます。その結びつきを
知るために井戸の底に降りていくのです。そこで闘いを経験するのです。

 「クロニクル」ということで旧約聖書の「歴代誌」を注意深く読んで
みました。それは記録保存書ではないのです。ある視点を持ってまとめ
られている歴史書なのです。あることとあることがこのように結びつい
てこのような結果をもたらしていることの証の書なのです。その展開を
示している絵巻なのです。その絵巻を作っている神の物語なのです。

 そして今、その神の物語りに組み込まれている私の物語となるのです。
神の恵みのなかで、夫婦としてのクロニクルと戦争のクロニクルの流れを
見定めていくことです。そのなかで時には悪の力を阻止し、方向を変えて
いく私の物語となるのです。そのための闘いの物語りとなるのです。