ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Tuesday, September 20, 2005

婚礼の日、心の喜びの日のために

ウイークリー瞑想  2005年9月19日(月)

長女瞳の結婚式が3週間後に迫ってきました。妻は日ごとに力をいただいて、シカゴでの式の参加の準備に取りかかっています。退院後一ヶ月は肺の回復のために酸素呼吸を必要としていますが、それからも解放されて元気で参加できることを願っています。妻のために多くの方が覚えてくださいました。感謝に堪えません。

瞳と婚約者は当初7月の結婚式を予定していましたが、母親の病気の回復を願って10月に延期しました。母親のために何度かシカゴから飛んできて、具体的に助けてくれました。その姿を見て、ひとりの成熟したおとめとして自分の婚礼を迎えようとしていることが分かりました。

「婚礼の日、心の喜びの日のために」とは、雅歌の3章11節のことばです。雅歌は花嫁と花婿の相聞歌ですが、この箇所は婚礼の歌と言われています。雅歌を男性の立場で読むのか、女性の立場で読むのかで受ける感度は随分違うのだと思います。私は男性としての感度でしか読めないのですが、おとめの若人を慕う思い、婚礼へのあこがれは感じます。
 ふたりが昨年の暮れに私たちのころに来てくれました。サンフランシスコに彼のお姉さんがいて尋ねると言うことでした。その郊外にいるミニストリーの理事ご夫妻を紹介しました。喜んで泊めてくださるということでした。出かける前に、そのとき物置の建設を彼といっしょにしたのですが、一時仕事を休んだときに、彼が私に瞳との結婚の承諾を求めてきました。その思いを伝えたのは私が初めてですと言われました。妻にも黙っていました。
 サンフランシスコから帰ってくるときに瞳から婚約したと電話がありました。波止場で彼がポロポーズをしてシャンペンでお祝いしたと言うことです。それを聞いた妻が私にいつ彼が父親の承諾を求めたのかと聞いてきいてきました。そして推測して分かったようです。どうして自分に言わなかったのかと嬉しそうに問いつめてきました。それでよかったのだと子どもたちが後押ししてくれました。

そんなふたりの結婚式に、サンフランシスコ郊外でふたりを泊めてくれたご夫妻が文字通り花を添えてくれることになりました。奥様はフラワー・デザイナーです。シカゴまで来てふたりのためにお花を準備してくださるといくことです。このご夫妻は20年以上前にご主人の出身の青森に帰っていたときに、次男の方をねぶたまつりの日に交通事故で亡くされました。奥様はフラワー・デザインをその子どもさんの召天を契機として始めたと言うことです。

自分の娘が嫁にいくかのように、わざわざシカゴまで来てくれます。婚礼の喜びの輪を広げてくれます。
花を添え、色を付け、香りを放ってくれます。それはこのご夫妻の心の深いところにある悲しみと感謝の思いから出てきていることが分かります。その恵みと祝福を瞳がいただけることに感動しています。

上沼昌雄記

Tuesday, September 06, 2005

あの栄光

ウイークリー瞑想   2005年8月30日(火)

妻ルイーズは2週間近くの集中治療室での治療が功を奏して、昨晩退院してきました。呼吸は正常に戻りつつありますがしばらくは酸素呼吸を続けます。また肺の中の水を取り除く薬で圧力を下げていく必要があります。薬と食べ物のリアクションから解放されてきました。多くの方の祈りに支えれてきました。

具体的なアドバイスや助けをいただいてきました。感謝に堪えません。

集中治療室での治療が始まってどのようになるのかまだ分からなかったときに、ミニストリーの理事のひとりで、長い間事務所として彼のビジネスの建物の一角を貸してくれていた方が、励ましのメールをくれました。その中に次の文章がありました。

Trough all of this let Christ be glorified. 

このことすべてを通してキリストの栄光が現されるように。どのようになってもキリストが崇められることを最優先するように。大変なチャレンジをいただきました。

彼のビジネスは順調で、今はハワイに住んでいます。しかし奥様は何度も大きな手術をして生死の境を通ってきました。この春先は2番目の息子さんが脳腫瘍の手術を受けました。キリストの栄光が現されることがどのようなことなのか体験してきています。

どのようになるか分からない状態でなお神の栄光が現されることを信じること、それは容易なことではありません。よくなったら栄光が現されたといえるのか、そのまま終わってしまったら栄光が去ったということなのか。どちらでもあり、どちらでもないのだろうと思います。

キリストが十字架を前にして父に祈った祈りを思い出します。「今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ご一緒にいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」(ヨハネ17:5)十字架がなお栄光のためであり得るとすると、栄光は明らかに神の次元のことです。私
たちの判断で決まるものではありません。

当然よくなることを祈り、期待します。妻が徐々に回復してきたときには感謝しました。集中治療室で向かいのベットに数日いた方はそのまま亡くなりました。妻も一時はどうなるか分からない状態でした。

そして無事に退院してきました。「あの栄光」は、しかし、感謝と同時に、感謝とは別になお神の御手の中で備えられているように思います。目に見えることだけでは捉えられないところで備えられているようです。容易に判断できるものではありません。都合のよいように判断できるものでもありません。

パウロは「今の時の軽い患難」と「測り知れない、重い永遠の栄光」(2コリント4:17)とを逆説的に対比しています。「あの栄光」は私たちの思いとは逆のところで現されるようです。今回の病気がどのように神の栄光に結ぶ着いているのか、計り知れない課題をいただいています。

上沼昌雄記

教会ストライキ

神学モノローグ    2005年9月5日(月)

この春に礼拝がキャンセルされるという事態が私たちが出席している教会で生じたことを、前に書いた。
その後過半数の人からの牧師辞任の嘆願書が出された。しかし臨時総会で牧師を支援する数人の人の強硬策でもみ消されるかたちになった。嘆願書に署名した人たちは行き場を失ってしまった。「老婦人の涙」という記事でその状況を紹介した。

その後誰が決めたわけでもないが、別なグループを作ったり、法律に訴えたりすることなく、静かに神の義がなされることを待とうという同意がなされた。礼拝に出席しない、献金をしないという暗黙の了解がなされた。その間、ある人は別の教会の礼拝に出席し、ある人は家で静かに個人的に礼拝を守ってきた。それをある人はチャーチ・ヴァケイションと呼び、ある人は教会ストライキと呼んだ。

過半数の人の献金が止まったために、宣教支援ができなくなってしまった。私のミニストリーの支援をストップするという牧師の手紙が届いた。私を非難するだけの内容のものだと、日本で奉仕をしていたときに妻が伝えてきた。私も教会ストライキ状態なので、何もしないで様子を見ることに決めた。

4ヶ月経って、臨時総会でもみ消しを計った方から、自分の認識不足を認めるメールが届いた。牧師からの私への手紙を読みたいというのでファクスした。牧師の霊的傲慢さ、不真実さ、偏った教えにようやく気づいたと率直に認めてきた。過半数の人はそのことに気づいたので嘆願書を提出しただけであった。この方とは、16年前に同じ時期にこの山に移ってきて家族ぐるみで親しくしてきたので、友情関係が危機に瀕することにもなった。

一時支援していた人が不誠実さに気づいたために牧師は辞める以外になかった。辞表が提出された。

事態が収拾することを願う。まだいくつかのハードルを越えなければならない。教会はヴィリッジ・ミッションという団体に属していて、牧師は派遣されてきていたために、その対応もある。

私たちは妻の闘病のために町を離れていたので、祈りながら待つだけであった。同じ町に住んでいる人は自分の教会がそこにあっても行けないという苦渋を味わってきた。しかし神の真実を信じて、じっと待ってきた。ピケを張ったわけでもなく、声明文を出したわけでもない。待つだけのストライキであった。

そしてストライキ解除である。教会生活での初めの経験である。計画したわけでない。

推薦できることでもない。成り行き上、教会ストライキになっただけである。それでよかったと思う。

上沼昌雄記