ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Tuesday, April 11, 2006

主(あるじ)の心

 先週末にミニストリーの理事であり、牧師であり、みくにレストランの
創業者である荒井先生とお会いしました。いつものように5店舗あるな
かで私のところに一番近い店でお昼をいただきながら話しました。
最初は金曜の昼に予定していたのですが、先生に急用ができて来る
ことができませんでした。私は約束の1時に到着しました。それでも
テーブルの空くのを待っている人でいっぱいでした。私はただ待ちなが
ら食事を終わって出てくる人、待っている人、食べている人を眺めて
いました。 どこでも人を観察するのが好きなのです。駅とか飛行場と
かでです。

 荒井先生とご家族とは、16年前に私たち家族もアメリカに移り住ん
でからの知り合いです。最初のレストランがまだ小さくて大変なときの
ことを思い出します。ペンキ塗りを真夜中にさせていただいたことを思
い出します。そんなことを思いながら、出入りしている人たちを観て、
みくにレストランはサクラメントと近郊で大変なステータス・シンボルに
なっていることに気づきました。近隣のオフィス街でしっかりと仕事を
している人たちがビジネスと社交の場として使っているのです。男性
でも女性でもその身なりからそれなりの地位の人たちだと分かります。
みくにレストランで食べながらビジネスの話をすることが彼らのステー
タスになっています。寿司を握っていた次男の方に感想を伝えました。

 結局次の日、土曜日の昼に荒井先生と会いました。前日待たされた
こ とを恐縮されたので、そこで観察したことをお話ししました。興味深
そうに聞いてくれました。その折りに村上春樹のある本で、バーを経営
している主人公が、自分のお店に来る人にオーナーとしての姿勢を示
して、お客さんとして同じように振る舞ってほしいという無言のメッセージ
を出しているのだという件(くだり)を紹介しました。
お店はその主 (あるじ)の心の現れであることを先生にお伝えしたかっ
たのです。先生の人柄、信仰、牧師としての生き方が雰囲気になって
います。お客さんはそんな空気に反応します。それにあわせて振る舞
います。人を連れてきます。家族を連れてきます。

 ミニストリーでいろいろな教会の交わりに入れていただきます。
その教会の雰囲気は牧師の心の現れなのだろうと思わされます。
礼拝の流れ、交わりの自由さ、笑いの声、人々の顔とどこをとってもその
教会のことを思い、労している牧師の心が出てきます。心は隠せません。
隠していればそれも伝わります。それに人は反応します。
 牧師も人ですので、人としての雰囲気は避けることはできません。それ
でもその心が真の主に向いていて、人間的な限界を乗り越えて、溢れる
ような豊かさが伝わって来ている場合とそうでないときがあります。
牧師としての思いの強さが限界を作ってしまっているときがあります。
人はまたそのように反応していきます。ミニストリーをしていても同じこと
を知らされます。

 みくにレストランには「満ち満ちた(プレローマ)」(エペソ1:23,3:19,4:13)
ものがあります。人は食べ物で満たされて帰るのではないのです。そこに
ある空気に触れて満足するのです。心が満たされるのです。また戻って
きます。人を連れてきます。家族を連れてきます。

 

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