ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Wednesday, August 15, 2007

子であること、父であること

 妻の叔母の記念会があり、ロス郊外に行って来ました。その間長男義
樹の家に泊めていただきました。一緒に礼拝に行くことができました。
義樹たちの住まいはリック・ウォーレンの教会の近くです。そこにも
行って様子を見てき、またそれ以外にも二つほどの教会に行ってみてき
たが、いまの教会に決めたと言うことです。その経緯というか、決める
要因について義樹の奥さんが嬉しそうに説明をしてくれました。音楽と
メッセージが調和していることが決め手のようです。参加した礼拝も牧
師の休暇中で、外部のメッセンジャーで、いつものような聖書講解でな
いと話してくれました。またもう少し落ち着いたらばスモールグループ
の聖研に加わる考えであることを言っていました。

 2週間前はシカゴの長女瞳のところに行ってきました。礼拝には一緒
に行くことはできなかったのですが、どのような姿勢でいるのかは分か
ります。その雰囲気が漂っています。どのように子供を育てようとして
いるのか分かります。今回は義樹たちの霊的な方向を知ることができま
した。瞳たちとは雰囲気が違っていながら、心の向いているところは同
じです。

 この夏は子供たちの家庭を訪ねることができ、思いがけずそれぞれの
霊的な模様を楽しく観察しました。子供としての考えがあり、そこに結
婚を通して相手の霊的な姿勢が加味されてきます。親とは違ったものを
作り出していきます。夫婦で話し合いながら方向を出していることが分
かります。

 次女の泉は首都ワシントンのインターナショナル・チャーチに参加し
ていますが、別の教会のユースの活動にも参加しています。子供たちが
それぞれの信仰の形態を取っています。親のものとは違った、自分たち
に合うものをみつけています。私たちは18年前に移り住んだところの
教会に、途中で家が変わってかなり距離がありながら、その上にいろい
ろな問題がありながら、そのまま出席しています。子供たちは私たちの
姿勢を観察しています。

 子供たちが、信仰はひとつですが、親とは多少異なった形態や霊的雰
囲気を取っていくことで、自分たちのなかに新しい風が吹き込んできま
す。そのための窓が開いてきます。開けなければなりません。そして新
しい風で生き返ります。思いがけない視点をいただきます。それで自分
も新たに展開していきます。自分のなかだけに留まっていることはでき
ません。

 ユダヤ教の哲学者レヴィナスが「他者」を視点に取り入れることで、
子であること、父であることを哲学とテーマとして取り上げていること
が、現実的に分かってきました。西洋の思想は、神学も含めて、「他
者」ではなく、自己である「同」を中心に展開してきました。自己の理
解範囲に世界を築いていく作業に「他者」はただ組み込まれてきただけ
であると言います。「他者」は「同」の延長に過ぎません。子供は親の
延長になってしまいます。全体主義です。ナチスの全体主義は特殊なも
のではなく、西洋の思想の行き着いたところだと言います。

 「他者」は確かに、そんな「同」の枠には入らない驚きなのです。子
は「同」ではなくて「他者」なのです。親は子を通して、「同」を打ち
破って「他者」に対面するのです。自分の枠を乗り越えるのです。子は
驚きであり、自由なのです。絶対的な停止ではなく、流動的な未来なの
です。何をもたらすのか分からない驚異です。

 子であること、父であることが哲学のテーマとなるのです。すなわち
誰にとっても意味のあることとして提示されているのです。自分だけの
世界を築くことが人生でないことを哲学として語っているのです。自分
のための他者であり、世界であるという自己中心性を打ち破ることを意
味づけてくれています。他者のためであることで人生の意味が出てくる
ことを哲学としています。

 パスカルは「アブラハム、イサク、ヤコブの神」、哲学者の神ではな
いと言いますが、レヴィナスにとっては、「アブラハム、イサク、ヤコ
ブの神」は哲学者の神でもあります。少なくともそうあろうとしていま
す。子であること、父であることが誰にとっても意味のあることのなの
です。西洋の思想で聖書を読んでいたためか、なかなか結びつかなかっ
た系図が身近になってきました。子であること、父であることで神の歩
みのなかに組み込まれているのです。系図は生きています。

 シカゴで瞳の夫が、父親であることで何が一番の喜びであったかと尋
ねてきました。子供と一緒にいて見つめていることだと答えました。そ
してこの日曜の夕方、ベランダで義樹とふたりで夕涼みをしながらしば
しのときを持ちました。

Tuesday, August 07, 2007

「手のひらほどの小さな雲」

 行きと同じ道を同じように3日間の行程で、シカゴから北カリフォルニアに戻ってきました。2日目の昼の大半はワイオミング州を横切ることになりました。途中にララミーという町があります。中学生の終わり頃からようやく家に入ったテレビで『ララミー牧場』というドラマを食い入るように観ていました。フリーウエイを降りて町並みを見て回りました。長い間憧れていた土地に来たような感覚をいただきました。
 ワイオミング州に入ってララミーまでは平坦な農業地帯です。ララミーからゆっくりと山並みを登りながらユタ州に入っていきます。数年前にその平坦な農業地帯でJCFNの理事会を持ちました。デンバーにいる理事の奥様のご両親でポテト農場をされている方が家を開放してくださいました。その時に夕立がありました。夕立のあとにひとつの地平線から次の地平線まで180度にまたがっている虹が出てきました。
 その虹を思い出し、空に浮かぶ雲を眺めながら運転をしました。その奥様がメキシコ湾からの湿った空気がワイオミングまで届いてきて、一日のうちにさまざまな空模様を展開しているという説明を思い出しました。確かに雄大な大地ですが、それは同時にとてつもない大きな空を提供してくれます。しかもそこにさまざまな雲が浮かび、絶え間なく動いているのです。雄大な大地で、カリフォルニアのようにただ晴れ渡っているだけでしたらあきてしまいます。あきさせない神の計らいを感じます。ララミーの町で買った絵はがきにもどれも雲が写っています。
 やさしくほほえんでいるような雲、綿飴のように食べたくなるような雲、空高く遊泳を楽しんでいるような雲、ひとりぽつんと取り残されたような雲、延びきってすべてをゆだねているような雲、まとまってこちらを待ち受けているような雲、山の向こうから顔を出して様子を伺っているような雲、厚く積み重なって雨を降らせている雲、白い雲と黒い雲。
 そんな雲の様子が脳裏に刻まれたと言っていいのかも知れません。家に戻って興味がありましたのでグーグルで「雲」を検索してみました。 「雲ホームページ」、「雲百科」、「雲ブログ」等、雲に魅せられて人が写真を撮り、ネットに載せています。そして『雲、息子への手紙』というネイチャー・ドキュメンタリーを制作した女性映画監督がいることを知りました。2001年のカンヌ国際映画祭で上映されたと言うことです。あのカトリーヌ・ドヌーブがナレーターをしているというのです。
 そしてさらに友人の高橋秀典牧師が、第1列王記18章と19章の説教ノートを送ってくれました。預言者エリヤがバアルの神と戦ったカルメル山の劇的な記事です。ノートには「神の沈黙の声とは」という副題が付いています。興味のある箇所を興味のあるテーマで取り扱ってくれています。
 惹かれるようにこの箇所を注意深く読んでみました。バアルの神との戦いに勝利をしたあとに、数年の飢饉の終わりを告げる箇所があります。カルメル山の頂上で顔を膝の間にうめるように地にうずくまって、 従者に海の方を見るようにエリヤは告げます。「何もありません」と従者は答えます。「もう一度」と命じて、そんなやり取りが7度繰り返されます。そして最後に「手のひらほどの小さな雲が海から上ってきます」と返事をします。しばらくして、空は厚い雲に覆われて暗くなり、 風も出てきて、激しい大雨となりました。そのように、自ら予告した飢饉の終わりを告げます。
 中近東を旅行したことはありません。カルメル山は地中海を見下ろせるところにありますが、ただ想像しています。その頂でただ身をじっとかがめる姿勢でエリヤは「手のひらほどの小さな雲」の到来を予告しています。何かをしっかりと感じ取っていたのです。そしてしばらくして黒雲に覆われて大雨となりました。
 ワイオミングで厚く覆った雲が前方にあり、しばらくして打ち付けるような大雨の中を通過しました。一瞬先が見えない状態が続きましたが、しばらくしたらまた晴れ間が出てきました。しかしエリヤがもたらしたものは、数年来の飢饉の終わりを告げる雨です。地を回復させる雨です。洪水をもたらし地を破壊する雨ではありません。地をしっかりと潤す雨です。「手のひらほどの小さな雲」と恵みの雨です。
 イスラエルの民を導いた雲の柱、モーセが神に会うために導かれた雲の中、イエスの変貌山での弟子たちを覆った雲、イエスの昇天と再臨のときの雲、信仰の証人たちを表す雲。雲は、天と地の間に浮かんでいて、何かを語り告げています。目を向けさせてくれます。向こうに思いを馳せてくれます。

Thursday, August 02, 2007

「神様の地理学」

 今回シカゴの孫に会うためにと言うのが隠れた理由なのですが、わが
家を先週の火曜日の午前11時に出て、その日はネバダ州とユタ州を横
切って11時間700マイル(1120キロ)、次の日はワイオミング
州を横切りネブラスカ州をほぼ横切って12時間800マイル(128
0キロ)、そして木曜日はアイオワ州を横切ってイリノイ州に入って9
時間550マイル(880キロ)のドライブをして夕方6時に長女瞳の
家に無事に到着しました。滅茶苦茶なドライブだと友人に言われまし
た。昨日は古巣のレーキサイド教会で奉仕が許され、3日でドライブを
して来たことを同じように驚かれました。

 ワイオミング州を横切ってネブラスカ州に入ってすぐのレストエリア
に立ち寄りました。そこは旅行案内所も兼ねていて年輩のご婦人が親切
にも地図とガイドブックをくれました。その入り口のドアに驚いたこと
に「ここはまだガラガラヘビの生息しているところです。」というサイ
ンが掲げてありました。ですからまだ安心しないで注意をしてください
という意味だと思います。それにしても私たちのところから千マイル以
上もはなれたところまでガラガラヘビの生息していることになります。
途中でロッキー山脈を越えているのです。

 アメリカ大陸の大きさに驚かされるのと同時に、その荒地のようなと
ころを生活の場として開拓し、開墾してきた歴史を思い返します。子供
の頃によく観た西部劇を思い出します。馬車に乗りながら水のない荒地
を家族で旅をしているのです。いまはそこにフリーウエイが走り、とこ
ろどころに町があり、宿があります。そういう便利さを除いたらあとは
荒地をただひたすらドライブをしていることになります。自分の進んで
いく先が波を打って山の向こうにに見えるのです。

 そんなワイオミングの雄大な土地と晴れ渡った大空に浮かんでいる雲
を見ながら、また神様はどうしてこんな大きな荒地の自然を作られたの
だろうかと思いながら、イスラエルの何十万という民がエジプトを出て
約束の地を目指して40年も旅をしたことを思い描いてみようと思いま
した。同時に想像の限界を感じました。フリーウエイは永遠に続いてい
るような感じですが、それでもどこまで行ったらガソリン・スタンドが
あり宿があるというサインが立っています。それにあわせて計画を立て
ることができます。注意していればそれなりに安全な旅です。ですか
ら、どこに飲み水があり、食べ物があるのかも分からないで40年も荒
野を旅をすることは想像もできないことです。

 そんなこと思ってドライブをしているときに、大学で受けた地理学の
授業のことを思い出しました。学期の初めの数回授業があってそれから
学期の最後まで研究のために世界中を飛び回っている教授です。最後の
週に戻ってきて授業がありました。朝から始まって世界中で取ってきた
スライドを見せてくれました。それが何時間も続くのです。そしてその
まま期末試験となりました。それは見たスライドについてのコメントを
口頭で言うことでした。不思議に魅力的な授業でした。

 私は和辻哲郎の『風土』で言われていることをもとにして、「砂漠地
帯」の聖書の世界と「モンスーン地帯」の日本の違いを自分なりに理解
して話したのを覚えています。そして最後にそのような風土が人生観や
世界観にどのように影響しているのか逆に教授に聞いてみました。そう
したら、頭を抱えるようなかっこうで「それこそ自分の一番知りたいこ
とだ。」と言われました。それ以上の返事はありませんでした。大学で
受けたもっとも印象的な授業でした。

 そして取りも直さず、リジェント大学で霊性神学を指導してきた
ジェームズ・フーストン師はオックスフォド大学では地理学の教授でし
た。学生とのカンセリングを通して誰の心のうちにも「たましいの地理
学」があると気づいて、リジェント大学の設立にあたって「たましいの
地理学者」として霊性神学を始めたのです。

 和辻哲郎のいうもうひとつの「牧草地帯」、すなわちヨーロッパで神
学が形成され展開してきました。きめの細かい体系づけられた概念の世
界です。予測のつく世界です。規則と法の世界です。近世、近代を導い
た自律した理性の世界です。荒地より都会の生活です。荒地を旅をして
いるよりも都市のなかでの定着した教会生活です。旅を終えてしまった
民のそれなりに安定した生活です。逆に旅を渇望している都市中心の世
界です。

 そんな都会人として、教会人としての経験やものの見方、世界観から
いま聖書を読んでいるような気がします。神学的に裏付けされた世界観
に合うように聖書を読んでいるところがあります。だからといっていま
自分の置かれている地理を否定することもできません。その必要もあり
ません。それぞれの地理も神様の作品です。四季のはっきりとした日本
の自然も、きめ細かいヨーロッパの自然も、雄大なワイオミング州の地
形も、イスラエルの民の通った砂漠も神のものです。ただそこでの世界
観を絶対視する必要もありません。そのようになりがちです。むしろ多
様な神様の地理学を楽しんだらよいのでしょう。

Monday, July 09, 2007

ガラガラ蛇

 一週間前に家の後ろでガラガラヘビに遭遇しました。家の回りを清掃
しないと行けない状態でしたので、立てかけてあった草かきようの熊手
などの道具をとってみたら、足元にすでにとぐろを巻いていました。一
瞬身が縮まるような思いで飛び退きました。どのように処理したらよい
のかしばらくにらめっこをしながら考えました。ガラガラヘビのことは
よく話で聞いていました。大変な猛毒です。かまれた話も時々聞きま
す。いつかは自分も遭遇することになるだろうと思っていました。いま
までは猫がいたのでヘビの方が寄りつかなかったのかも知れません。

 直径10センチほどのとぐろを巻いていました。大きいものではあり
ませんでしたが、気持ちのよいものではありません。心臓は高鳴ってい
ました。小さな目玉は私の動きを探っているようでした。ここはしっか
りと処理をしないといけないと思いました。シャベルがそこにあったの
で、身を除けながらそれを手にすることができました。何度かそれでひ
と思いでと思いましたが、もし失敗をして逃げられると面倒なので、さ
らに方策を考えました。妻を呼ぶわけにもいけません。ここは自分の責
任と覚悟をしました。

 幸い取っ手の長い鉄製の鍬が立てかけてあったので、静かに取り寄せ
ました。それを思い切って振り下ろして、串差しの状態にしてから、頭
の部分をシャベルで切り取って処分することができました。何とか責任
を果たせたと思って、妻を呼んで現場を見せました。死んでも猛毒は
残っているので、妻の意見で、泥をかぶせて処理をしたガラガラヘビ
を、家の下の方に流れている渓流の脇の誰も立ち入らないところに持っ
ていきました。

 ガラガラヘビと格闘した話を、秋田の友人にメールしました。返事を
くれました。「ガラガラ蛇と対面して格闘したというのには、驚きまし
た。まだ、自分には蛇にも勝る敏捷性と体力を持ち合わせているとの妄
想(??)が闘争心を駆り立てて、戦わせたのかななどと想像していま
す。いや、上沼さんのことですから、そんな単純なことではなく、家族
や知人とが遭遇したときに危害を加えては困ると思って、わが身の危険
を顧みず戦って勝利したのかもしれません。しかし、還暦を過ぎた身で
すので、今後は、ご自愛下さい。私は、まだ、還暦には達してません
が、ガラガラ蛇と対面したら、蛇が自分から逃げていくようにだけした
かもしれません。そして、そんな話を家でして、家内には、非難の言葉
を頂くことになるような気がします。ルーズさんは、どんな反応を示し
たのでしょうか。少し、興味があります。、、、これから手術に入りま
す。舌癌再発(他院での術後)で、根治的頚部郭清、舌亜全摘・下顎骨
切除、遊離腹直筋皮弁再建と12時間ほどの癌との格闘です。」

 妻はこのメールをうれしそうに読んでいました。You are my
hero! と言ってくれたと返事を出しましたら、それは「想定内でした」
と返事が返ってきました。これだけですと手柄話のようになってしまう
ので文章に書く予定はなかったのですが、次女の泉の反応から思いがけ
ない視点をいただくことになりました。泉は話を聞いて、"Dad, you
are tough! Dad, that was really rugged of you!" と表現しました。
いつも面白い言い回しをするのですが、このruggedという言い方
が心に残っていました。響きとして今回の状況にぴったしとあっている
ように思いました。

 2年前にJohn Eldredgeという人の"Wild at Heart"とい
う本のことで、神学モノローグ「男性の霊的勇気」(2005年7月2
1日)という記事を書きました。この人の新しい本、"The Way of the Wild
Heart"というのが昨年出され、ベストセラーになりました。何時か読まな
ければと思って、最近読み出しました。
副題はA Map For The Masculine Journeyです。男性が男らしくなっていく
道筋を、自分の経験、コロラドでの男性のためのセミナーの経験を通して
語っています。
男性が男性らしくなっていくのは、まさにruggedな危険の多いこ
とだと書いています(p.15)。スムーズな平坦な道ではなく、岩肌
のようなごつごつとした、しかもオオカミやガラガラヘビの出てくる危
険の多い道であると言います。

 そしてこのruggedといのは、「丘に立てる荒削りの十字架(The
Old Rugged Cross)」(聖歌402番)と歌われている「荒削り」とも
訳されます。さらに「男らしい」「ごつごつした」とも訳されます。
John Eldredgeは、いまの教会は男性の男らしさを削いでしまう傾向に
あると言います。それで男性の男性らしさを聖書から学び、アウトドア
を通して経験させています。それはアブラハム、ダビデが通った道だと
言います。取りも直さずキリストの通った道だと言います。

 自分のなかですべてがスムーズにいくことを願う思いが強くありま
す。そうあることが信仰的であると思ってしまいます。しかし現実には
荒削りなごつごつした道を通されます。ガラガラヘビに遭遇します。心
臓が高鳴っても、退かないで、ここは身を危険にさらしても対応しない
といけないと思わされるときがあります。秋田の友人もしっかりと、男
らしく、ごつごつした人生を歩んでいます。

Tuesday, July 03, 2007

「聖書の近さ・キリストの近さ」

「聖書の近さ・キリストの近さ」2007年7月2日(月)

 長女瞳の夫が3年ほど前に送ってくれたジョン・バニエのヨハネ福音
書の講解(Drawn into the Mystery of Jesus through the Gospel of
John)を、妻と一緒に読んでいます。これは、ジョン・バニエが200
1年にテレビで行った25回のヨハネ福音書の説教集を下にしていま
す。ジョン・バニエはラルシュ・コミュニティーの働きを通して世界中
に知られています。1987年に日本でもリトリートを開催し、その時
のメッセージ集が、あめんどう社から『心貧しき者の幸い』として出て
います。

 どういうわけか4章のサマリヤの女のことから読み始めました。傷つ
き、苦しみ、孤独なこの女の人に引き寄せられていきます。家族から
も、社会からも逃れるようにして真昼に水を汲みに来たサマリヤの女が
すぐそばにいるように、ジョン・バニエの文章に引き込まれます。短い
文章で、分かりやすい英語で書かれていながら、時を越え、文化を越え
て自分もその場に居合わせるかのように惹きつけられます。

 傷つき、苦しみ、孤独なのはサマリヤの女だけでなく、いまも自分た
ちの回りで出会う人たちであることが分かります。イエスの時代がいま
にそのまま飛び込んできます。水を求めている人がすぐそばにいること
が分かります。そしてジョン・バニエの澄み切った泉のような文章は、
取りも直さず、傷つき、苦しみ、孤独なのは自分の心であることを納得
させてくれます。教えられて分かったというのではなくて、水を求めて
いるのはサマリヤの女ではなくて自分であると、内側から同意できます。

 『心貧しき者の幸い』にもサマリヤの女のことが繰り返し出ていま
す。その場に居合わせていたかのようです。その場で観察していたので
はなくて、自分があたかもサマリヤの女であったかのように思い描いて
います。サマリヤの女とジョン・バニエがダブってきます。「私たちひ
とりひとりの内に、このサマリヤの女がいます。」と言います。

 そして、「わたしに水を飲ませてください。」と言っているのは、い
まはイエスではなくて、そのようにして知的障害者に接していったジョ
ン・バニエ自身であることが分かります。傷つき、苦しみ、孤独な人の
心にいのちの泉が湧くことで、自分自身が癒されることを経験していま
す。イエスとジョン・バニエがダブってきます。そうすることがキリス
トに従うことであると説いているのではないのです。ただ実践している
のです。

 スカルの井戸辺のことがいまのこととして行われているのです。その
中から語っているのです。短い言葉で、噛みしめるように語っていま
す。何とも言えない聖書の近さ、キリストの近さを感じます。聖書の近
さはキリストの近さであり、キリストの近さは聖書の近さであることが
分かります。

 ヨハネ福音書でイエスに引き寄せられていると、ジョン・バニエは言
います。この福音書の学びを長い間してきて、多くの註解書も読んでき
たことを序文で語っています。註解書はしかし、多くの場合に、スカル
の井戸辺の状況を距離を置いて観察しているだけです。サマリヤの女の
罪深さを嘆いています。イエスのすばらしさを語っています。しかしど
うしても距離があります。外から観ている観察者になってしまいます。
聖書の権威を説き、聖書の無誤性を主張していても、この距離感を持っ
たままで説教をしています。

 ひとりの友人が野宿生活者、路上生活者のための働きをしています。
さまりたんプログラムと呼んでいます。いままでにない視点のメールを
よくいただきます。この方の持たれている聖書の近さ、キリストの近さ
が伝わってきます。そして、聖書を生きる、キリストのように生きるこ
との厳しさを知らされています。

Friday, June 29, 2007

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ウイークリー瞑想
「教会ストライキ・解除」2007年6月26日(火)

 2005年9月5日付で「教会ストライキ」という記事を書いていま
す。過激なタイトルを掲げたことを気になっていました。記事を書いた
ときは、当時の牧師のことで自主的に教会に行くことを拒否した人たち
が起こる状況のなかで、最終的にその牧師が辞表を提出して収まりかけ
てきたときでした。私たちは妻の闘病のことで、妻の両親のロス郊外の
家に移っていましたので、「教会ストライキ」に賛同したかたちで記事
を書きました。いつか正式にストライキ解除を宣言しなければと思って
いました。

 6月初めにロス郊外を引き払って北カリフォルニアの家に帰ってきま
した。一昨日妻とともに2年4ヶ月ぶりにフォレストヒルの山の教会に
出席しました。18年前に家族でアメリカに移り住んでから出席してい
た教会です。ミニストリーの発足のために後押しをしてくれた教会で
す。その当時からの人が数人残っています。この2年4ヶ月の間で天に
召された人が数名います。行きの車のなかでその人たちの名前を妻とと
もに挙げてみました。いまの家を自分で建てているときに助けに来てく
れた人も含まれています。

 礼拝出席は日本の平均的な教会といわれるほどの数です。静かに礼拝
をささげ、会堂を守っています。前の牧師の時の傷は残っていますが、
礼拝を守ることで教会のあり方を示しています。この数年結構な牧師が
来て、去っていきました。牧師が来るたびにその牧師の意向で動かされ
ます。自分の聖書観、教会観を押しつけてきます。それが聖書の教えと
言って、強制してきます。そのようにならないと言って信徒を責めて牧
師は去っていきます。そういう状況を何度も経験している人たちが静か
に礼拝を守っているのです。

 前の牧師の時にはある種の邪悪さを感じました。教会のほとんどの人
はそれに気づきました。しかし18年前にその地に移り住んでから親し
くしていた友人がその牧師を支持するかたちになったために、難しい状
況になりました。幸いに最後に気づいてくれたので、牧師もそれ以上留
まることができなくなりました。残念ですが友人夫婦も教会を変えるこ
とになりました。

 教会は少なくとも牧師のものではありません。むしろ信徒のもので
す。信徒が生きているときに教会が生きてきます。そうすることで、か
しらであるキリストがほめたたえられます。何千人と集まっている
チャック・スミスの教会は生き生きとしています。聖書の豊かさ、広さ
が伝わっています。愛の深さを感じます。規模は全く違いながら、静か
に礼拝を守っている人たちの無言の愛を感じます。それが当然のように
ミニストリーを支えてくれます。しばらくぶりに帰ってきたと言って、
礼拝のなかで報告をさせていただきました。どのようなことがあっても
礼拝の民として歩んでいる人たちのもとに帰ってくることができたこと
を実感しました。

 礼拝の帰りに、95歳で寝たきりの兄弟を訪問しました。2年4ヶ月
前にはまだ元気で礼拝に出席していました。奥様も看病で大変お疲れの
ようでしたが、最愛の夫を世話することで喜びに溢れています。この兄
弟は日本軍の真珠湾攻撃を聞いて、海兵隊に志願をして、タラワ島で日
本軍と闘って来た人です。その時の勇敢な行為のゆえに当時のニミッツ
将軍から勲章をいただいています。義樹がいま海兵隊に所属しているこ
ともあって不思議な結びつきをいただいています。寝たきりですが、私
たちの語りかけることにしっかりと反応をしてくれました。

 主のもとに帰る聖徒ともに礼拝の後のしばらくの時を過ごすことがで
きました。栄光の重みのなかに佇むことができました。時が停止して天
の門が開かれているような光景のなかに置かれました。そんな日だまり
のような光景をあとにして帰途につきました。さわやかな「教会ストラ
イキ」解除宣言となりました。

上沼昌雄記

Sunday, June 24, 2007

「思索の中心」

 学生の時に同じ下宿で信仰のこと、人生のこと、哲学のことを話し
合ってきて、すでに40年近く友として交わりをいただいている札幌の
小林基人牧師と、最近ある事柄でやり取りをした。そのコメントの最後
に「上沼さんの思索の中心、あるいは、根にあるものは?」という問い
をいただいた。何か自分自身の中心部分で空白になっているところを突
かれて、返事ができなかった。それ以来2ヶ月その問いを思い巡らして
いる。というより、問いの回りを旋回している。

 小林さんの問いは、私の存在を支えているものは何かと言い換えるこ
ともできる。私が何のために生き、何を目標にして人生を送っているの
かと言うことになる。下宿で交わした会話を思い起こしている。人生に
対して、人に対して繊細な感覚を持って望んでいた小林さんの姿を思い
出す。その姿勢がいまの牧会でもそのまま出ている。病める人、弱い人
に対してキリストの愛を持って接している。そんな小林さんの生き方か
ら出てきた問いである。40年前の下宿に戻って同じ問いを突きつけら
れている感じである。

 振り返ってみると、自分の思索の中心には何もないのではないか。た
だ空白があり、風が漂っているだけのように思える。学生時代はまさに
学園紛争の時であった。それでも社会をよくするために人生をささげる
とは自分には言えなかった。信仰者としてすでに歩んでいたが、日本の
キリスト教を大きくするために頑張るとも言えなかった。ただ60年代
はまさに変革の時であって、そのなかで哲学を専攻した動機を思い返し
た。神を信じ、神の創造と終末のなかでの人生を認めていても、この世
界をどのように観て、人生をどのように観ていくことが可能なのか興味
があった。

 当時はマルクス主義とは対極にあった実存主義の哲学者といわれてい
たハイデッガーを選んだ。哲学科も両方の教授が拮抗していた。当時の
社会、思想界を凝縮していた。それだけ緊張感があった。ハイデッガー
を選んだことにも自分なりの生き方があったのだろうと思い返してい
る。「どうして世界は存在しないのではなくて、存在しているのか?」
「どうして無ではなくて、有なのか?」とい問いをハイデッガーは問う
ている。それには答えがない。当然分かっていることをハイデッガーは
問い続けている。執拗に問い続けている。そんな姿勢に共感した。

 小林さんからの問いをいただいて、40年間閉じたままであったハイ
デッガーの本を段ボールの中からとりだして読み直している。当時活字
を見つめるようにして読んだ本の匂いがしてきた。そんな時代があった
のかと感傷にしたるより、自分のなかの問いがもう一度よみがえってき
た。なぜ世界は存在しているのか、なぜ私は存在しているのか。神学的
な枠のなかでは解決済みに思われている。しかし、なぜ神は世界を造る
必要があったのかという問いは残る。なぜ神は「私は在って在るもの」
とい言われるのか、不思議な響きが届いてくる。

 ハイデッガーの問いは問いだけであって、どこにも行かない。思考の
根源に導いてはくれるが、そこに何かがあるわけでない。その根源から
聞こえてくる声に耳を傾けるだけである。それでヘルダーリンの詩の解
明を試みる。思索は詩作であるという。それでも問いの周りを回ってい
るだけである。その中心は空白なのである。風が漂っているだけであ
る。当時台頭してきたナチスの全体主義に対してはなすべきすべがな
かった。むしろハイデッガーは荷担をしてしまった。

 ハイデッガーの問いがよみがえってきても、それではそこからどこに
向かうことができるのかと自問しなければならない。ただその自問を、
この欄でも何度か取り上げたホロコーストを経験したユダヤ人の哲学者
レヴィナスの「他者」を取り入れる思考で、新しい方向をいただいてい
る。レヴィナスは同じ問いを持っていながら、ハイデッガーとは対極に
いる。現実的にはホロコーストがその断絶を明確にしている。レヴィナ
スは存在することの恐怖と驚異を知っている。この数年レヴィナスを読
んできたことで、ハイデッガーに対する別な視点をもいただいている。

 その視点がありながら、存在の問いは私の周りを回っている。回って
いるだけでどこに自分を導いてくれるのか分からない。中心は空白で、
風が漂っているだけである。こうなければならないというより、漂って
くる風の動きを観察しているだけである。存在の問いはいつも付きま
とっていながら、その回りは時代とともに様相を変えていく。そんな動
きを見つめている自分がいる。

 初代教会の時代があり、中世の時代があり、ルネサンスと宗教改革の
時代があり、啓蒙思想の時代があり、技術革命の時代があり、民主主義
とテロリズムの時代がある。60年代という特異な時代があり、その前
の二つの戦争の時があり、いまの何とも言えない時代がある。福音主義
の台頭の時代があり、福音主義の混迷の時代がある。存在の問いと時代
の流れ、それはハイデッガーの主著『存在と時間』(1927年)のタ
イトルが示している通りである。存在と時間である。

 存在の問いを問い続け、時代の流れを見つめていることが、ただ自分
の思考の回りでうごめいている。中心は空白である。ただ空気であり、
風であり、息である。どこに行き着くわけでない。それでも時代は動い
ている。その動きを観察しながら神の配慮を観ることができる。少なく
ても信仰者としてその御手を感じることができる。それは私のものでは
ない。私は観察しているだけである。私の中心はどうにもならないほど
空白である。小林さんの問いに戸惑いながら、空白であることを生きる
術を探している。

上沼昌雄記