ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Tuesday, November 21, 2006

大村晴雄先生と聖書研究

 日本を発つ前日に大村晴雄先生を訪ねることができました。5月の時
には骨折の後でリハビリのために入院をされていました。その後どのよ
うにされているのか気になっていました。一ヶ月前にご自宅に帰ってく
ることができ、ご家族の方が同居されてお世話をされているとのことで
す。車いすですがお元気な様子でした。

 拙書『夫婦で奏でる霊の歌』をお渡しすることができました。虫眼鏡
を使って目次をじっくりと調べておられました。そして今朝の聖書研究
もイザヤ書の5章の「ぶどう畑についての主の愛の歌でした」と言われ
ました。お宅に11名集まられたということです。すでに長い間続いて
いるもののようです。

 その聖書研究は先生が講義をされているということです。それで5月
の折りに病院でその箇所についてユダヤ人が書いた註解書のことで質問
されてこられたことが分かりました。この時のための準備をすでにして
いたのです。しかもヘブル語で確認をしているのです。

 いつもは哲学のテーマが話題になるのですが、しばしヘブル語の世界
のことを語り合いました。特にヘブル語の時制では完了と未完了だけで
現在形がないことを尋ねてきました。哲学では「永遠の今」という概念
で神の現在性を確認しているけれど旧約の世界ではどうなっているのか
とことです。

 返答に困ることでした。しかし最近レヴィナスの本を読んでいてユダ
ヤ人が持っている時間観で気づいたことをお話ししました。ホロコスト
を経験していながらレヴィナスにとっては神はいつも「アブラハム、イ
サク、ヤコブの神」であるのです。「哲学者の神はいない」ようなこと
を言っています。何と言ってもアブラハム、イサク、ヤコブの神で、時
間も空間も超えて通じてしまうユダヤ人の世界があることを、レヴィナ
スを読んで感じていました。

 大村先生も「アブラハム、イサク、ヤコブの神か、うん、なるほど」
と2,3回言われました。しばし沈思黙考の時となりました。西洋の時
間観では捉えきれないものを旧約の世界が持っていることに共感して、
言葉がないときが続きました。ただ自分たちの神がアブラハム、イサ
ク、ヤコブの神であることを感謝しているようでもありました。まさに
そうなのです。

 96歳になられてもなお真理を探究している姿勢にプロテスタントの
精神をみるおもいでした。真理であるキリストを知っても、その真理に
関わる真理をさらに追い求めているのです。そのために開かれた心があ
るのです。自説を留めてなお聞いていく勇気があるのです。時の流れの
向こうを行く超越があるのです。真理を愛する愛智があるのです。枯れ
ることのない泉があるのです。

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