ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Friday, July 21, 2006

石を枕に、夢を見る

 JCFNの15周年記念修養会でハワイに来ています。
日本からの参加者を含めて60名ほど集っています。
マキキ教会でハワイアン・ナイトで歓迎してくれました。そして次の日に
スモールグループのチームビルヂングの形成のためのゲームを、
アラモアナ・ショッピングセンターとアラモアナ・ビーチでして、会場である
カトリックの施設にバスで移って来ました。賑やかなホノルルの反対側に
山越えをしました。中腹の切り立ったところにひっそりと佇んでいるカルメル
会の修道院です。その敷地にリトリート・センターがあります。

 ここがハワイなのかと思わせるほど静かなところです。幹線道路から
斜面に下りてきています。その車の音が少し聞こえるだけです。鳥たち
が私たちを歓迎してくれました。見渡した遠く向こうには海が見えます。
空の色よりははるかにしっかりとしたブルーをしています。その海に
沿って街が立ち並んでいます。カイルアの街です。澄み切った静かな
ビーチを抱えている街のように見えます。行ってみたいのですが機会が
なさそうです。会場のどこからでもそのような景色を見下ろすことがで
きます。その海から気持ちのよい風が絶え間なく吹いてきます。

 京都の宇治に同じカルメル会の施設があります。同じ精神でこの会場
が成り立っていることが分かります。沈黙を大切にしています。人里か
ら離れて、ただ神に出会うことを切に求めています。修道院はいつも
ひっそりとしています。人のいる気配はあるのですが、その姿を見ること
があまりありません。それでも、このような場があるので皆さん自由に
使ってくださいといっているように感じます。押しつけるところがありませ
ん。ただじっと佇んでいることで何かを語っています。その深い沈黙に惹
きつけられます。

最初の朝にグループでのバイブル・スタディーがありました。創世記28章
からヤコブがエサウを避けて旅立っていく場面です。一夜を明かすために
石を取って、それを枕にして眠ったときに見た夢の話です。大変意味深い
夢です。私は夢の内容よりは、夢を見ることが神との会話として用いられ
ていることに関心を持ちました。しかも石を枕にして夢を見るのです。
石と夢が神との会話、交わりの手段なのです。

 夏目漱石が自分の名前のことで石を枕にすること語っているのを読んだ
ことがあります。ヤコブの話が関わっているとは言われていなかったように
思います。ただ人生の旅をしながら時には石を枕にして横になり、そこで
思い浮かんだことを記していくことが自分の仕事のように感じているという
文面であったように思います。

 昼前に聖餐式がありました。その前に一人ひとりが自分の過去を振り
返って、示されたことを石に書いて、それを祭壇に捧げることをしました。
ヤコブが、自分が枕にした石を柱として立てたことを私たちも追体験
したのです。私は迷わずに「石を枕に、夢を見る」と書きました。聖餐
式の前にそれを石の柱として捧げました。それを修養会の終わりにまた
用いるのだと思います。

 どうしてそんなことを書いたのか不思議です。現実に石を枕にするよ
うなことはありません。一年に何度か旅をしますので枕はよく変わりま
す。夢を見ますが、ヤコブのような夢は見たこともありません。意識の
どこかに隠れていることが、しかも忘れていたと思うことが、全く思い
がけないフォーマットで夢になって出てきます。覚えておこうと思って
もすぐに忘れてしまいます。夢にどのような意味があるのかそのような
分析をしたことはありません。それでも意味があることは分かります。

 神はこの時点で夢を通して私に何かを語ろうとしているのだろうか。
自覚の膜で張られている私の意識が眠ることが解き放たれて、無自覚の
状態になるのを待って神は語ろうとしているのだろうか。覚醒している
ときに把握したことは、確かであるようで実際には不確かであることを
夢を通して教えようとしているのだろうか。ヤコブのように夢で明確に
何かを示し、何かを語ろうとしているのであろうか。

 「石を枕に、夢を見る。」ハワイに来て、もうひとつ不思議な旅に出
かけているような気がしています。

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