ウィークリー瞑想

上沼昌雄(神学博士)のキリスト教神学エッセー

Saturday, March 10, 2007

「うめき」

 心を静めて自分の心に耳を澄ませていくと、心の底から何かが響いて
いるのが分かります。心の底が深み闇の奥に通じていて、地の底から風
が吹き上げてきて絶えず何かを唸らせています。地の底に誘い込むよう
な響きです。しっかりと聞き届けられるものではなく、ただ心のなかに
穴が開いていてそこから風が通り抜けていくような音です。聞きたくも
のない音です。それでも心の耳に届いてきます。寝ているときも、仕事
をしているときも、人と話をしているときも、聖書を読んでいるとき
も、祈りをしているときも心の耳から離れません。

 パウロはそんな自分の心の底の響きを、ロマ書8章で「うめき」と
言っているようです。「被造物のうめき」と「御霊のうめき」にサンド
イッチのように挟まれて自分の「心のうめき」を聞いています(ロマ書
8:22-26)。あたかも自分の心のうめきに耳を澄ませているとき
に、自分の外でも同じようなうめきがあることに気づいて聞き届けてい
るようです。心の底の深い闇の奥で響いているうめきが、地の隅々か
ら、またさらに地を越えたところから聞こえてくるようです。地表から
染み込んで地の底の真っ暗闇のなかから鳴り響いているようです。ま
た、地をはるかに越えた天でも響いているようです。

 パウロがなにをうめいていたのかを、自分の心のうめきに聞きなが
ら、想像します。それにしても「何を」というのは明確には出てきませ
ん。むしろ訳もなくうめいている自分の心に対面します。パウロの心よ
り自分の心のことが気になります。ただパウロの心のうめきに気づい
て、自分の心のうめきを聞き取る手がかりをいただいているのです。そ
して、うめきが連動してその先の先と進んでいきます。あたかもうめき
に物語があるように先に先にと進んでいきます。失敗や、別離や、空白
や、恐れや、怒りや、不信や、後悔の物語です。うめきが積み重なって
暗い闇夜の唄となってきます。

 男性として自分の心のうめきに耳を澄ませていると、他の男性の心の
うめきが伝わってきます。人生で失ったもの、取り返しのつかないこ
と、家族を傷つけてきたこと、満たされない心、劣等感で苦しんでいる
こと、優越感の虜になっていること、あたかもアダムがエデンの園を追
われて、決定的に何かを失って失ってしまったものを探し求めているよ
うです。うめいていながらこの地上では得られないようです。どこにも
行き所のない、たどり着けないうめきです。

 自分の心のうめきに耳を澄ませていると、少しだけパウロのうめきが
聞こえてくるようです。パウロが被造物のうめきを聞き届けていたのも
分かるような気がします。それでも分からないというか、驚かされるこ
とは、パウロが自分の心のうめきをじっと聞きながら、そのうめきを御
霊みずからがうめいていると気づくことです。自分の心のうめきと御霊
のうめきが結びついてくることです。どうしてそれが可能なのか、立ち
止まるのみです。決定的な隔たりがありながら、どうしてあたかもコイ
ンの両面のように結びついてくるのか、驚かされます。その結びつきを
知りたいと願います。

 パウロはそんな御霊のうめきに気づいて、その後「御霊の思い」、
「神のみこころ」、そして「神のご計画」(ロマ書8:27.28)に
ついて語っていきます。ですから自分の心のうめきを聞きながら御霊の
うめきに気づくことで、神の世界に導かれていることが分かります。あ
たかも自分の心のうめきが神の計画を知る手がかりであるようです。う
めきが神に近づく手立てのようです。

 自分の心のうめきを聞くことは、自己憐憫ではないのです。自己憐憫
はどこにも行き着けません。自分の心のうめきの聞きながら、他の人の
うめきに共鳴するのです。さらに御霊のうめきにまで届いていくので
す。それは自分の心のうめきをしっかりと、じっくりと聞き届けること
で開かれます。聞き続けることです。立ち止まって耳を澄ませることで
す。

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